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皆神山

1,857 バイト追加, 2023年11月20日 (月) 01:15
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[[ファイル:皆神山1.jpg|thumb|松代PAから見た皆神山。中央に山容全体が見える山が皆神山。一番手前右から中央にかけて見えるのは母袋山の尾根。一番奥に見える山脈は菅平高原。(2012年10月撮影)松代PAから見た皆神山。中央に山容全体が見える山が皆神山。一番手前右から中央にかけて見えるのは母袋山の尾根。一番奥に見える山脈は菅平高原。平成24年(2012年)10月撮影。]][[ファイル:皆神山山頂の出口王仁三郎(昭和4年).jpg|thumb|[[出口王仁三郎]]。皆神山の山頂にて昭和4年6月3日撮影。]]
'''皆神山'''(みなかみやま)は、長野市松代にある山。[[霊界物語]]においては[[地教山]]<ref>ただし[[ヒマラヤ山]]も地教山と呼ばれる。</ref>と呼ばれる重要な山。
* 太古に作られたピラミッドだという説がある。また第二次大戦末期に大本営を作るため地下壕が多数掘られた。
* 山頂には出速雄命を祭る[[皆神神社]](熊野出速雄神社)がある。
* 皆神神社境内の説明書によると(写真参照)、皆神山のかつての呼び名は「群神山」あるいは「水上山」で、慶長年間(1596~1615年)から「皆神山」と呼ばれるようになった。皆神神社境内の説明書によると(写真参照)、皆神山のかつての呼び名は「群神山」あるいは「[[水上山]]」で、慶長年間(1596~1615年)から「皆神山」と呼ばれるようになった。
== 王仁三郎関係 ==
* 昭和46年(1971年)春、皆神神社境内に王仁三郎の歌碑が建立された。「地質学上世界の中心山脈の十字形せる珍の神山」「天霊の聖地に些しも違はざる尊き神山皆神の山」の二首が刻まれている。
* 平成16年(2004年)9月26日、皆神神社境内に三代教主・[[出口直日]]の歌碑が建立された。「みすゝかるしなのゝくにの神山にともらつとひて世をいのらなむ」この歌は昭和29年(1954年)9月26日に皆神山山頂で執行された平和祈願祭に際して詠んだ歌である。
 
== ギャラリー ==
写真は全て平成24年(2012年)10月に撮影。
<gallery mode="packed">
ファイル:皆神山の王仁三郎の歌碑1.jpg|皆神神社境内にある出口王仁三郎の歌碑。昭和46年(1971年)春建立。
ファイル:皆神山の王仁三郎の歌碑2.jpg|王仁三郎の歌碑の裏面。
ファイル:皆神山の出口直日の歌碑1.jpg|皆神神社境内にある出口直日の歌碑。平成16年(2004年)9月26日建立。
ファイル:皆神山の出口直日の歌碑2.jpg|出口直日の歌碑の裏面。
ファイル:皆神山の浅間神社1.jpg|皆神神社境内にある富士浅間神社。
ファイル:皆神山の浅間神社2.jpg|富士浅間神社。
ファイル:皆神山の浅間神社3.jpg|富士浅間神社。十曜紋が刻まれている。
ファイル:皆神山の熊野出速雄神社1.jpg|皆神神社境内の熊野出速雄神社。
ファイル:皆神山の熊野出速雄神社2.jpg|熊野出速雄神社。
ファイル:皆神神社1.jpg|皆神神社の鳥居。
ファイル:皆神神社2.jpg|山門。
ファイル:皆神神社3.jpg|社号標。
ファイル:皆神神社4.jpg|本殿。
ファイル:皆神山の境内の説明書1.jpg|皆神山の説明。
ファイル:皆神山の境内の説明書2.jpg|皆神神社の初穂神事の説明。
ファイル:皆神山の境内の説明書3.jpg|皆神山ピラミッド説の説明。
ファイル:皆神山の境内の説明書4.jpg|皆神山ピラミッド説の説明。
ファイル:皆神山の境内の説明書5.jpg|皆神神社の説明。
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== 脚注 ==
== 外部リンク ==
* <wp>皆神山</wp>
* [http://www.minakami-jinja.jp/ 皆神神社皆神神社(公式サイト)]
{{デフォルトソート:みなかみやま}}[[Category:山|みなかみやま]][[Category:秀逸な記事]]

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