本教創世記

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本教創世記(ほんきょうそうせいき)は、出口王仁三郎の著述。十~二十代を回顧した自叙伝。明治37年(1904年)1月から2月にかけて執筆された。十代の幼少時や二十代の高熊山修業前後の出来事と、幽斎修行の方法や実践例について述べてある。

概要

本教創世記は王仁三郎の在世中には公刊されず、教団内で写本のまま読まれていた。[1]

昭和35年(1960年)に教団内の資料としてタイプ印刷本が約100部作られた。底本には大本本部所蔵の写本3冊(大阪在住の信者である辰巳鶴松が所蔵していた写本を、大正14年(1925年)に大本史実課の成瀬勝勇[2]が筆写したもの。以下「本部所蔵写本」と略す)を使っている。このタイプ印刷本の冒頭には「一、本稿は、大本教主出口王仁三郎聖師の十三才より三十四才(明治三十七年)までの自叙伝である。一、本稿は、明治三十七年一月御執筆、場所は不明である。一、本稿の原本は発見されていない。一、本資料は、大阪・辰巳鶴松氏所持の写本より、成瀬勝勇氏の禁写したものによった」という例言が付されている。[1]

昭和49年(1974年)に『出口王仁三郎著作集 第一巻』(p54~161)に収録された(以下「著作集」と略す)。教団外に公開されたものとしてはこれが初となる。底本は前出のタイプ印刷本と同じものを使っている。[1]

平成15年(2003年)にみいづ舎から単行本『本教創世記』が発刊された(以下「みいづ舎版」と略す)。底本はタイプ印刷本を使い、著作集を参考にしている[3]

著作集もみいづ舎版も、漢字は新字体、仮名遣いは新仮名遣いである。

本部所蔵写本の最後の章は第十三章であり、第十二章が脱落している。タイプ印刷本ではそのまま第十二章を脱落としているが、著作集では第十三章は内容的に第十一章に続く章と考え、第十二章の誤記だと判断している[1]

一方、みいづ舎版では、第十二章は開祖批判が書いてあるため削除されたのだろうと推測し[4]、第十二章は空白のままにしている。

最後の第十三章(著作集では第十二章)の後半には、「またある時は、神主を利用して筆を振るい、数多の白紙を費やして、釘の折れた如き蚯蚓の這うた如き文字を並べて、「神が口で白す代わりに筆にて知らす」なぞと、下らぬ事を書き流すものあり」等、開祖批判とも受け取れることが書いてある。

関連項目

外部リンク

  • 本教創世記# - 霊界物語ネット(底本は著作集)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 出口王仁三郎著作集 第一巻』村上重良による「解説」p474~475
  2. 「勝勇」の読み方は著作集「解説」p474では「かつお」としているが、みいづ舎版「はじめに」では「かつゆう」にしている。
  3. みいづ舎版『本教創世記』「凡例」p269
  4. みいづ舎版「あとがき」p263