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大本

746 バイト追加, 2024年1月19日 (金)
基本情報
== 基本情報 ==
* 開教日:明治25年(1892年)2月3日(旧正月5日)。[[出口直]]に[[艮の金神]]が神懸かり第一声を発したとされる日<ref>昔の文献だとその日は2月8日(旧正月10日)としているものもある。昔の文献だと開教日は2月8日(旧正月10日)としているものもある。</ref>。
* 教祖:[[出口直]](でぐち なお)と[[出口王仁三郎]](でぐち おにさぶろう)の二人いる。
** [[出口直]]:[[福知山]]の桐村家に生まれ、[[綾部]]の出口家に嫁いだ。明治25年「[[艮の金神]]」が懸かり神示が降りるようになる。後に王仁三郎が合流する。出口直は大本の道を開いたという意味での教祖である。肩書きは「[[開祖]]」。
** 五代教主:[[出口紅]](くれない)1956年~。直日の次女・麻子の娘だが聖子の養女となる。
* 内紛([[第三次大本事件]])によって大本教団から追放された信徒らによって擁立された他の教主もいる。→「[[大本信徒連合会]]」
** 四代教主:[[出口直美]](なおみ)1929~2020年(91歳)。直日の長女。(なおみ)1929~2020年(91歳)。直日の長女。夫は[[出口栄二]]。** 五代教主:[[出口直子]](なおこ)1947年~。直美の長女。(なおこ)1947年~。直美の長女。夫は[[出口信一]]。
* 大本は戦前は非公認宗教であったが、戦後は法人格を得て「宗教法人大本」として活動している。
** 令和4年度宗教年鑑<ref>令和4年度版59頁 「[https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/index.html 宗教年鑑]」(文化庁)</ref>によると、「信者数」<ref>信者の定義はそれぞれの宗教法人によって異なる。大本の場合は何を信者と定義しているのかは不明だが、活動をしていない幽霊信者を除いたアクティブな信者の数はおそらくこの数分の1である。</ref>は165,338人、「教師数」<ref>宣伝使の人数か?</ref>は4,089人である。<ref>ちなみに令和4年(2022年)の25年前の平成9年(1997年)版では信者数173,513人、教師数6,168人である。</ref>
== 歴史 ===== 正史 ===* 大本の正史(大本教団公認の歴史)を記した本格的な書物としては『[[大本七十年史]]』がある。1960年代に著わされた本で、その時点での正史が記されている。上下2巻で2千頁超の大著であり、21世紀の現在でもこれ以上の歴史書は出版されていない。絶版なので古書でしか入手できない。しかし「[[霊界物語ネット]]」でテキストが公開されている→『{{obc|B1954|大本七十年史}}』* もう少し手軽な本としては[[出口京太郎]]著『[[巨人出口王仁三郎]]』がある。こちらも60年代に著わされた本であり、約500頁に収められている。大本七十年史には記されていない余談的なエピソードも多数記されている。こちらは現在でも新品が入手可能である。* 『{{obc|B1006|開祖伝}}』:昭和24年(1949年)に発行された正史。* 『{{obc|B1008|聖師伝}}』:昭和28年(1953年)に発行された正史。* [https://oomoto.or.jp/wp/rekishi/ 歴史](宗教法人大本公式サイト):なぜか情報量が少なすぎる<ref>2023/11/30現在</ref>。* [https://www.omt.gr.jp/o75 大本神業](大本信徒連合会公式サイト) === 私史 ===個人的な見解がかなり加わった歴史。* [https://www.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=8 出口王仁三郎とは?](王仁三郎ドット・ジェイピー)* <wp>大本</wp>:典拠となる文献が貧弱すぎる<ref>2023/11/30現在</ref>。 === 略史 ===出口直と王仁三郎を軸として見た大本60年間の略史。[[出口直]]と[[王仁三郎]]を軸として見た大本60年間の略史。(基本的には正史を元に作成している)
'''【開教】'''
教団名は昭和24年に「[[大本愛善苑]]」に改称され、昭和27年4月1日からは元の「大本」に改称することが決まった。その前日の3月31日に澄子は昇天する。長女の[[出口直日]]が大本の三代教主に就任した。
=== 略年表 ===
[[出口直]]と[[王仁三郎]]を軸として見た大本60年間の略年表。(年齢は原則として満年齢)(明治5年12月2日までは旧暦。翌日改暦され新暦6年1月1日となる)
|明治25年(1892年)1月30日(旧1月1日)||直(55歳)は霊夢を見る。
|-
| 同年2月3日(旧1月5日)<ref>日付は諸説ある昔は旧1月10日(新2月8日)とされていたようである。【例】『[[愛善苑]]』第36号(昭和23年12月1日発行)9頁「開祖年譜抄」に「明治廿五年旧一月十日 帰神の状態に入らる」と記されている。</ref>||直、帰神状態となる。
|-
|明治26年(1893年)4月~5月||4月21日、直は放火の嫌疑で警察署に留置される。翌日に嫌疑は晴れるが、発狂者として座敷牢に入れられる。その間、釘で柱に文字を書く([[筆先]]の初まり)。5月30日、座敷牢から出される。
* 昭和27年(1952年)4月1日(旧3月7日):「大本」に改称。(前日に二代教主が昇天し三代教主が就任)
宗教名としても開教当初から「大本」と名乗っていたわけではないようである。宗教名としても開教当初から「大本」と名乗っていたわけではないようである。(要調査→「[[大本神諭トーク:大本]]に「おほもと」<ref>「大本」とか「大元」という漢字が使われているが、その漢字は王仁三郎が当てはめたもの</ref>という言葉が登場するのは明治29年旧12月2日の神諭<ref>{{os|20|明治29年旧12月2日}}:「此大本へ立寄りて、神の御話を聞かして貰ふた人民だけなりと改心を致して」</ref>が初めてであり、次は明治31年旧5月5日と旧7月16日、頻繁に登場するようになるのは明治32年旧2月3日以降である<ref>{{os|4|明治25年1月の「[[初発の神諭]]」}}や、{{os|1|年月日不明の神諭}}にも「大本」という言葉が登場するが、前者は半紙に筆先が書かれる以前に出口直に伝達された神示を王仁三郎が想像して書いたものであり、後者も王仁三郎が作った可能性が高い(『神霊界』誌で大本神諭として一番最初に掲載された神諭)。それを除くと明治29年旧12月2日の神諭が「おほもと」が登場する最初の神諭となる。</ref> <ref>大本神諭化されていない筆先に「おほもと」が登場しているかも知れないが、公開されていないので調べようがない。</ref>。従って宗教名として「おほもと」と呼ばれるようになったのは早くても明治29年、おそらく王仁三郎が大本入りした明治32年以降のことではないかと考えられる。」)
== 施設 ==
=== 昔の祭典 ===
<書きかけ>
 
== 地方機関 ==
地方機関とは地方組織のこと。
=== 昔の地方機関 ===
<書きかけ>
=== 現在の地方機関 ===
* [https://oomoto.or.jp/wp/nationwide_bases/ 全国の拠点](大本公式サイト内)
== 関連団体 ==

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