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四谷

138 バイト追加, 2022年6月24日 (金) 03:56
須賀町
== 須賀町 ==
[[ファイル:確信会の事務所.jpg|thumb|[[須賀神社 (四谷)|須賀神社]]境内に置かれた[[確信会]]の事務所。]]
 
大正8年(1919年)10月、[[王仁三郎]]は鎌倉や東京を巡教した。それを機に「[[確信会]]」が10月19日に結成され、四谷区南寺町(現・須賀町)の[[須賀神社 (四谷)|須賀神社]]境内に事務所が置かれた。初代会長には[[浅野正恭]]が就任した。この確信会が東京における大本宣教の拠点となる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2332|内地宣教の展開}}」:「王仁三郎の東行を期として、東京では四谷区南寺町七番地(須賀神社「天王さま」境内)に確信会が結成され、一〇月一九日には発会式がとりおこなわれた。そしてその初代会長には浅野正恭が就任した。この確信会が東京における大本宣教の拠点となるのである」</ref> <ref>『[[大本関東教区七十年史]]』p43:「この大正八年の出口聖師のご東行を機として、東京では四谷区南寺町七番地(須賀神社〝天王さま〟境内)に「確信会」(のちに愛信会)が結成され、一〇月一九日には発会式を執行、大神さまを奉斎した。確信会(写真)は東京およびその付近に住む有力な大本信者の集いで、相互の信仰の向上を図り、親睦を深め、本部との連絡を円滑にしようとするもの。その初代会長には浅野正恭、副会長には鉄道院技師の長屋修吉工学士が推された。例祭は毎一九日に、毎日曜には談話会を催すこととした。以後、この確信会が果たす東京での活躍は大きく、あらゆる面で大本の重要の拠点となったばかりでなく、これらの人脈を通して多くの人のつながりが展開していった。」</ref>

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