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光照殿

1,878 バイト追加, 2018年11月6日 (火) 02:40
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'''光照殿'''(こうしょうでん)は、[[亀岡]]の[[天恩郷]]にあった建物。現在、[[朝陽館]]が建っている場所にあった。

== 概要 ==
* 光照殿には、[[人類愛善会]]の総本部と、[[世界宗教連合会]]東洋本部が置かれた。<ref name="B195401c4444">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>
* 奥の別棟は「[[月明館]]」と呼び、王仁三郎の亀岡における居室に当てられた。<ref name="B195401c4444" />

== 略年表 ==
* 大正14年(1925年)6月9日、光照殿の地鎮祭を行う。<ref name="B195401c4444" />
* 同年10月25日、竣工。<ref name="B195401c4444" />
* [[第二次大本事件]]で破壊される。

== 門 ==

光照殿の門は、王仁三郎の指示により、[[秋山彦の館]]の門に形どって造られた。<ref>新月の光0086「光照殿の門(天恩郷)」:「「秋山館の門に形どって造る」と指示されて造られた」、新月の光0109「光照殿(亀岡天恩郷)の中庭に立って門をさして繰り返して申された。「よう見とけ、よう見とけよ。秋山館とそっくりやで」」</ref>

また、[[明智光秀]]が造った[[亀山城]]の樟の門と同様に、光照殿の門は樟で造られた。<ref>新月の光0086「光照殿の門(天恩郷)」:「古昔より「[[亀山城]]にすぎたるものは三羽烏に樟の門」という諺が残っているが、樟の門は明智光秀が造って、光秀の没落後直ちに取り壊された。聖師様はこの予言を証するために、光照殿の門は樟で造らせられた。「秋山館の門に形どって造る」と指示されて造られた」</ref>

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:こうしようてん}}
[[Category:大本の施設]]

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