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霊鷲山

3,358 バイト追加, 2018年5月26日 (土) 20:19
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'''霊鷲山'''(りょうしゅうざん、れいしゅうざん)
<ref>霊鷲山のルビは、最初の方では「れいしうざん」だが、第11巻以降は「りやうしうざん」となる。合計では「れい~」が16回、「りやう~」が19回使われている。</ref>
は、[[霊界物語]]に登場する山。
インドとチベットの境に屹立する高山<ref name="rm0634">{{rm|6|34|三大教}}</ref>。

* 初出:{{rm|3|15|神世の移写}}
* [[玉ノ井の湖]]の西方に霊鷲山があり、東方に[[万寿山]]がある。<ref>{{rm|3|16|玉ノ井の宮}}</ref>
* 霊鷲山の神霊は[[三ツ葉彦命]]。<ref name="rm0315">{{rm|3|15|神世の移写}}</ref>


== 主なエピソード ==

[[第3巻]]第17章と第18章で、霊鷲山が舞台となる。

* 万寿山の神々は霊鷲山を第二の[[高天原]]とあがめた。<ref name="rm0315" />
* 万寿山の八王神・[[磐樟彦]]は、一人で秘かに万寿山城を抜け出し、霊鷲山の大岩窟で百日間の霊的修業を行った。大岩窟の中には数百数千もの小岩窟が左右に散在している。この岩窟は宇宙の縮図であり、山河あり、種々の動植物が住んでいる。〔{{rm|3|17|岩窟の修業}}〕
* 磐樟彦は岩窟のほとりに社殿を造営し、修業所として設備を施した。その遷座式の献饌の中に鳥や獣、魚が盛られていたため、肉を献じることの是非が論争となる。斎主の[[神世彦]]が神示を乞うと「神は万物を愛する。神の前に犠牲とされる一切の生物は、罪悪を消滅し、新しき神国に生まれ出る」との神示が得られたので、その神示を尊重し、祭典を行った。〔{{rm|3|18|神霊の遷座}}〕
* [[伊邪那岐命]]は、霊鷲山は神教を宣布する神界の根本霊地として、[[白雲別]]、[[圓山姫]]、[[久方彦]]、[[三葉彦]]を永遠に守神として任命した。<ref>{{rm|6|27|神生み}}</ref>
* 霊鷲山麓の[[玉ノ井の里]]で[[三葉彦]]が[[三大教]]を興す。<ref name="rm0634" />

== 現実の霊鷲山 ==

霊鷲山はもともと仏教で釈迦が法華経などを説いたとされる山で、「りょうじゅせん」と読む。

その場所は長い間忘れ去られていたが、明治36年(1903年)大谷光瑞(浄土真宗本願寺派第22世法主)が率いる探検隊が、インド・ビハール州のある山を霊鷲山だと断定した。

ブッダガヤ(仏陀が悟りを開いた地)から北東へ約50数km離れた所にある。

岩山で、山頂の岩が鷲の形をしているため「鷲の山」と呼ばれたという。

日本では[[高熊山]]に相応する。<ref>[[新月のかけ]]0234「霊界物語の地名」によると、万寿山は亀岡、霊鷲山は[[高熊山]]に相応する。</ref> <ref>入蒙記に王仁三郎は日本の霊鷲山に顕現したと書いてある。「瑞霊弐拾八歳にして成道し、日州霊鷲山に顕現し、三拾歳にして弥仙山に再臨し」{{rm|nm|8|聖雄と英雄}}</ref>

== 脚注 ==
<references/>

== 関連項目 ==
* [[万寿山]]

== 外部リンク ==
* <wp>霊鷲山</wp>

[[Category:霊界物語の山|りようしゆうさん]]
[[Category:霊界物語の山|れいしゆうさん]]

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