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出雲大神宮

131 バイト除去, 2024年7月21日 (日)
元出雲
出雲大神宮は「元出雲」という俗称がある。その由来として公式サイトで次のように説明されている。〈『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。〉<ref>「[http://www.izumo-d.org/gosaijin.html 御祭神]」(2024/7/20閲覧)</ref>。つまり当社から出雲に大国主命を遷して杵築大社(現・出雲大社)が創建されたということである。<ref>「丹波国風土記」という文献は存在しない。「丹波国風土記逸文」も存在しない。出雲大神宮の説明における「丹波国風土記」とは具体的に何の文献を指しているのかは不明である。風土記は和銅6年(713年)に元明天皇が各国に編纂を命じたもので、出雲・播磨・肥前・常陸・豊後の5ヶ国の風土記しか現存しない。他の国の風土記は「逸文」として断片的に伝えられている。「逸文」とは後世の文書に引用されている文章である。丹'''後'''国風土記逸文は存在するが、丹'''波'''国風土記逸文は発見されていない。実際には「丹波国風土記」と称する文献がいくつかあるが、地名しか書いてなかったり(多和文庫の丹波国風土記注進)、後世に作られた別書物だったり(池底叢書の丹波国風土記)する。</ref>
出雲大神宮が「元出雲」だと一般に知られるようになったのは戦後であり、戦前は「元出雲」だと記した資料はほとんどない。昭和15年(1940年)発行の『神社大観』<ref>光永星郎・編『神社大観』昭和15年(1940年)1月、日本電報通信社、386頁、{{ndldl|1920844/1/206}}</ref>に〈本社は俗に元出雲と称せられてゐる〉と記されているものの、何故「元出雲」なのかについては説明されていない。出雲大神宮が「元出雲」だと一般に知られるようになったのは戦後であり、戦前は「元出雲」だと記された資料はほとんどない。昭和15年(1940年)発行の『神社大観』に〈本社は俗に元出雲と称せられてゐる〉と記されているものの、何故「元出雲」なのかについては説明されていない。
戦前は、出雲大社から勧請されたと言われていた。

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