日月潭
概要
主なエピソード
台湾島の三五教の教主・真道彦命には日楯と月鉾という二人の子がいた。真道彦命は日月潭に居を構え、東の天嶺には日楯を、西の泰嶺には月鉾を配して、オリオン座の三ツ星のように三座並んで三五教の神業に奉仕した。[5]
→「玉藻山#主なエピソード」も見よ
現実の日月潭
台湾のほぼ中央部の山間にある、台湾最大の湖。湖の形が、日(太陽)と月(三日月)を合わせたような形をしているため、日月潭と呼ばれる。大正時代にダムが造られ水位が上昇し、湖の水域が拡大した。
王仁三郎は昭和6年(1931年)1月の台湾巡教の際に日月潭に立ち寄り支部の設置を命じた。[6]
新高山との位置関係
霊界物語では新高山の南東に日月潭があると書いてあるが、現実の日月潭は新高山(現在は玉山)の北にあるので、霊界物語の地理は現実と逆転している。
脚注
関連項目
外部リンク
- <wp>日月潭</wp>