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佐渡
,→巡教
[[王仁三郎]]は東北・北海道巡教の途中、昭和3年(1928年)7月28日に佐渡島に渡っている。
『[[東北日記]]』の中で王仁三郎は「一昨年大道宣布の為に山田瑞年、吉田春耕、文字葛之助の三宣伝使[[大本人]](注・おおもとじん)として初めて(注・佐渡に)渡り相川(注・佐渡島北部の相川町)まで進みたるが、邪霊に祟られ激烈なる腹痛に悩まされ、早々逃げ帰りたりと云ふ。次いで村山政光宣伝使は佐渡五十里の海岸線を一周し、これまた邪霊に祟られ、次に[[広瀬義邦]]宣伝使また激しき腹痛に悩み、半死半生の態にて国魂赤玉石を得て帰りたる霊的妨害の多き島なれば、国魂を清め進路を開拓せんと(略)以上の如く佐渡は古(注・いにしえ)の監獄島たりしを以て、恨みを呑んで瞑せし雄魂多く、邪霊充満して霊的には根底の国の情態にあり。吾れ大神の命を受けて、この憐れなる島人を霊的に救はんと今回の渡航を試むるに至れるなり」宣伝使また激しき腹痛に悩み、半死半生の態にて国魂赤玉石を得て帰りたる霊的妨害の多き島なれば、国魂を清め進路を開拓せんと(略)以上の如く佐渡は古(注・いにしえ)の監獄島たりしを以て、恨みを呑んで瞑せし雄魂多く、邪霊充満して霊的には[[根底の国]]の情態にあり。吾れ大神の命を受けて、この憐れなる島人を霊的に救はんと今回の渡航を試むるに至れるなり」<ref>『[[東北日記]] 一之巻』昭和3年発行、p280,p283</ref>と述べている。
島を巡教し、島で初めて諸橋家に御神号を奉斎させられた。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5113|聖師巡教の旅へ}}」</ref>