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皆神山
,→富士浅間神社
== 富士浅間神社 ==
[[成尾陽]]「暁の大地」<ref>『[[みろくのよ]]』令和3年(2021年)6月号、成尾陽「暁の大地 第138回」、43頁</ref>によると、皆神神社境内にある富士浅間神社は石の宮で、[[神聖神社]]の"写し"だという。このお宮は昭和48年(1973年)に大本から献納・建立され、三代教主による「大本皇大神」の真筆と、もともと皆神神社に祭られていた木花咲耶姫命の木製の神像が奉斎された<ref>ただし『大本七十年史』では昭和31年(1956年)9月に建立されと記されている。</ref> <ref name="B195402c8142" />。その2年ほど前に機関誌上で、穴太の[[瑞泉苑]]に石の宮([[神聖神社]])を再建すると発表されたが、それが何らかの理由で皆神山に建てられたのだという。理由は不明。
『[[愛善苑]]』昭和48年(1973年)1月号13頁の記事「皆神山に石の宮竣成」によると、石の宮は前年(昭和47年)12月3日に遷座祭が執行された。次のように説明されているが、なぜ穴太ではなく皆神山に建てることになったのか、理由は記されていない。
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完成した石の宮は、旧社殿跡二間四方に高さ三尺の石垣を積みあげ、その上に五尺四寸におよぶ総石造りのお宮があり玉垣がめぐらされている。使用された石材は国内三大産地の雄たる愛知県岡崎から二度も採掘厳選してきざまれただけに、山頂の神域にふさわしく、その麗姿はひときは四辺を圧して清く美しい。
前夜、この清宮を祓い清めて地元の氏子総代や本部の木庭教学委員ら立合いのもとに、皆神山社家武藤神官ならびに工藤大本長野分苑長と小山四郎氏が奉仕して、大本皇大御神のご神体と木花咲耶姫命のご神像(高さ38センチ・巾20センチ・厚さ10センチ)を新宮に鎮祭した。(略)
皆神山は地教山の雛型として大本神業上有名だが、全国唯一の教主さまの歌碑もここにある。この度再建された石宮は、かつて穴太瑞泉苑の神域に建てられていた〝神聖神社〟のうつしであり、昭和三十一年の神殿再建時に教主さまが確められた木花咲耶姫命の神像(奥社伝来の木像)を祀る宮士浅間神社である。| }}
== ギャラリー ==