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皆神山
,→王仁三郎との関わり
* 皆神山は世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。<ref>{{kgm|381|信濃国皆神山}}:「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である」</ref>
* 王仁三郎が明治31年の[[高熊山修行]]の際、一番最初に連れて行かれたのが[[富士山]](天教山)と皆神山(地教山)であった。<ref>{{kgm|381|信濃国皆神山}}:「私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになつて、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである」、{{kgm|337|模型を歩む}}</ref>
* 王仁三郎は昭和4年(1929年)6月3日、皆神山に登山して王仁三郎は昭和4年(1929年)6月3日<ref>大本年表</ref>、皆神山に登山して[[言霊]]を奏上している。<ref>{{kgm|307|言霊奏上について}}:「大正八年以来、度々言霊奏上と云ふ事を皆でやつたことがあるが、あれは練習であつて、此度皆神山で奏上したのが、真の生言霊の発射であつた」</ref>
* 皆神山は[[素盞嗚尊]]が初めて素焼きを作られた場所であり、これが陶器の作り始まりである。<ref>{{kgm|328|二代祖神}}:「歌は「出雲八重垣」に始まり、陶器は皆神山の八甕(やつがめ)に初まつたのは人皆の知つて居る通りである」、{{kgm|525|八十平甕}}:「俗にカワラケ又はオヒラと云ふ八十平甕(やそひらか)は、素盞嗚尊様が信州の皆神山の土によつて創製されたものである」</ref>
* 皆神山には[[天照大神]]の墓があるらしい。しかし具体的にどこにあるのかは不明。<ref>新月の光0632「大石凝先生との初対面」:「皆神山には天照大神の御墓もあり、戸隠山も何もあって、古事記とは違っている」</ref>
* 第二次大戦末期の大本営移転(首都移転)は、王仁三郎の[[経綸]]によるもの。<refname="kake0525">新月の光0525「御避難所」:「陛下の御避難所は信州皆神山に用意出来ている。道路も立派に出来ているのである。王仁が経綸に行った」、新月の光0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の皆神山へ行ったのである。そうして先生は皆神山に陛下がおいでになると言われたので、王仁は神様に綾部と聞いていると言ったら、一番は皆神山だと言われた」『[[新月の光]]』0525「御避難所」:「陛下の御避難所は信州皆神山に用意出来ている。道路も立派に出来ているのである。王仁が経綸に行った。」</ref> <ref name="kake0632">『[[新月の光]]』0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の皆神山へ行ったのである。そうして先生は皆神山に陛下がおいでになると言われたので、王仁は神様に綾部と聞いていると言ったら、一番は皆神山だと言われた。」</ref>
* 皆神山は数十万年前の噴火によって出来た噴火口の跡にある。噴火口に出来た湖水の上に浮き出ていたので「水上山」と呼ばれるようになった。<ref>{{kgm|413|噴火口と蓮華台}}:「本宮山、亀岡、皆神山は共に噴火口の跡にあるので蓮華台をなして居るのである。(略)水の上に浮き出て居つたから、水上山の名称が起つたのである。」</ref>
* 霊界物語には「皆神山」という言葉は出て来ない。