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2月12日
,編集の要約なし
前日の2月11日は紀元節なので、当局はそれを「遠慮して一日延ばした」<ref>[[第二次大本事件]]時の新聞に掲載された[[藤沼庄平]](京都府警察部長)の追懐談。『[[東京日日新聞]]』{{obc|NPTNc19351209A2|昭和10年12月9日付録}}</ref>。
* 王仁三郎は検挙当日、晴天の空に「上弦の月と太白星」が輝いているいるのを目撃した。それからちょうど3年後の大正13年(1924年)王仁三郎は検挙当日、大阪の空に「上弦の月と太白星」が輝いているいるのを目撃した。それからちょうど3年後の大正13年(1924年)'''2月12日'''(旧1月8日、火曜日)、綾部の空に「楕円形の月と太白星」が輝いているのを目撃した。3年を隔てて同じような天文現象を目撃した王仁三郎はそこに神意を感じ、蒙古入りを決意し、翌2月13日午前3時28分綾部発の汽車に乗り旅立った。<ref>{{rm|nm|6|出征の辞}}、{{rm|nm|7|奉天の夕}}</ref>
* 昭和3年(1928年)[[3月3日]]('''旧2月12日'''、土曜日)、王仁三郎は満56歳7ヶ月を迎えた。 →「[[みろく大祭]]」