教学碑
教学碑(きょうがくひ)は、天恩郷内にある石碑の一つ。出口王仁三郎の筆になる教旨と三大学則が刻まれている。「教旨・学則碑」とも呼ばれる。昭和28年(1953年)4月18日建立。
文面は以下の通り[1]。
神人一致
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体也
霊体合一して茲に無限の神徳を発揮す
学則
神の黙示は即吾俯仰観察する宇宙の霊力体の三大を以てす
一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし
一、万有の運化の毫差無きを視て真神の力を思考すべし
一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし
以上の活経典あり 真神の真神たる故由を知る 何んぞ人為の書巻を学習するを要せむや
唯不変不易たる真鑑実理ある而巳
右神諦文は出口王仁三郎 明治三十一年如月九日 高熊山修行の砌案出したる教義の一部なり
昭和十年九月八日 王仁識之
この文字は昭和10年(1935年)9月8日に王仁三郎が書いたものである。石碑が彫り上がり建碑の準備が進められていたが、第二次大本事件によって破壊されてしまった。
建立予定の碑石は巨大なものだった。縦6.7m、横2.5m、厚さ50cm、重量30トン(8千貫)もある仙台石で[2]、昭和8年(1933年)11月26日に亀岡駅に到着し、500人の奉仕者によって天恩郷に運ばれた。
この石には表に大本教旨・三大学則・四大綱領・四大主義の4つが、裏には王仁三郎の歌が刻まれていた。石は破壊されてしまったが、石摺が京都市内の石屋・吉村茂右衛門の蔵に隠されており、戦後大本本部に返納された。その石摺によって昭和28年(1953年)4月18日に教学碑が建立された。また、四大主義碑が昭和46年(1971年)8月6日に建立された。
なお、教旨の文言にはいくつかの種類がある。昭和10年4月8日、王仁三郎は教旨の一部を改め、従来は「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり 神人合一して茲に無限の権力を発揮す」だったが、「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、霊体合一して茲に無限の神力を発揮す」に変えた。本宮山の教碑では「大司宰」になっている。教学碑では「主体」「霊体」「神徳」になっている。現在の大本教団では「主体」「神人」「権力」にしている[3]。→詳細は「大本教旨」