伊吹山 (近江の国)
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概要
主なエピソード
第2巻
- 邪神の武熊別が伊吹山に立て籠もっていた。元照彦(言霊別命の弟)の供神・伊吹彦は、武熊彦の部下・八十熊らに買収され、大台ケ原で狩りをする時、猪を征矢で吹くように装って元照彦を殺そうとした。しかし言霊別命はその危難を察知して元照彦を救う。伊吹彦は八十熊と伊吹山に逃れるが、どこからともなく飛んできた白羽の征矢に当たり、山から転落して死に、伊吹山の邪鬼となった。[1]
- 八十熊らは、大台ケ原の恨みを報ずるため、常世姫の魔軍に参加して、言霊別命の神軍を攻撃する。言霊別命は元照彦に伊吹山を攻撃させる。しかしローマの言霊別命を助けるため元照彦は退却すると、伊吹山の八十熊一派は後方から火弾を投じて元照彦の神軍を悩ました。[2]
第16巻以降
伊都能売神諭における伊吹山
伊都能売神諭 大正八年二月二十日#:「素盞嗚尊は神妙に罪を負ひ贖罪の為に世界中の邪神を平定遊ばし終には八岐の大蛇を退治して、叢雲の剣を得之を天照皇大神に奉られたので在るぞよ。其時に退治された八頭八尾の大蛇の霊が近江の国の伊吹山に止まり、日本武命に危害を加へて置いて元の露国の古巣へ迯げ帰り、色々として世界を魔の国に致す企みを致して今度の世界の大戦争を初めたので在るぞよ。」
現実の伊吹山
言霊隊
王仁三郎は大正8年(1919年)旧8月7日から11日(新9月30日~10月4日)にかけて、言霊隊を世継王山(綾部の四尾山)、伊吹山、大台ケ原の3ヶ所に派遣して、言霊の実習を行わせている。
- 「一九一九(大正八)年の九月三〇日、教主王仁三郎は役員・信者の一行をひきいて、綾部の世継王山第二峰の頂上にのぼり言霊の実習をした。それは臍下丹田からの力いっぱいの声で、天津のりと・大祓のりとを奏上し、ついで「アー、オー、ウー、エー、イー」と七五声の言霊をとなえあげるものである。これを言霊踏査隊の第一隊とした。第二隊は浅野会長を先頭に高見元男もくわわって一行一〇人が、一〇月二日に伊吹山の山頂にのぼり、第三隊は小笠原義之をはじめ一行一五人が、一〇月四日に大和の大台ガ原にのぼった。ついで第四隊は一一月九日に、浅野和三郎・出口大二ら一行三五人が竹生島に、第五隊は森良仁(慶三郎)ら一行六人が、同日江州坂本にむかった。さらにそのほかの一行は弥仙山および肝川の割岩山などにのぼった。」〔『大本七十年史 上』p432「本部の動き」〕
- 「旧八月七日、王仁一行、日本国の臍なる世継王山に昇り、言霊の実習を為す。太祓の奏上中、大雨巽方より襲い来る。忽ち白扇を披いて天津祝詞の太祝詞を高唱す。風伯雨師声に応じて東北に去る。旧八月八日浅野氏一行の言霊隊を送る時、前記二首の蕪詩を詠ず。一隊は近江国伊吹山に、一隊は大和国大台ケ原に登る。大台ケ原は綾部の正南方に位し、伊吹山は正東方に位す。大台ケ原に向ひし一隊は八月十一日絶頂に達し、伊吹山に向ひし一隊は八月九日に絶頂に達し、各自声調を揃へて、天津祝詞並に大祓詞を臍下丹田より伊吹き放ち、七十五声を幾度も繰返し了って下山す。今回の挙は只単に探検に止まり、実際的の神業では有りませぬ。去ど言霊の妙用は忽ち顕現し、十月五日(旧八月十三日)台風○○○○の山麓紀州沖に現はれ、地動之に伴ひ、山系の能登に反響し、次で名古屋、静岡、信越地方に突破し、○○○○終に東都を襲はむとする時しも、王仁幸にして鎌倉に在り、神宮山に登りて言霊を活用せし結果、東京方面の被害を免がる。」〔『神霊界』大正8年11月1日p16「随筆」〕
- 「神界の時機切迫と共に、言霊閣の建築完成し、弥々大本神の御経綸なる、言霊実用となり、第一着として、皇国の中心点なる世継王山に登り、王仁を先登に言霊の実験を遂げ、次いで浅野会長以下、各役員の言霊隊を組織して、近江国伊吹山、大和国大台ケ原山を始め、天之真奈井の竹生島に沖の島、日枝の坂本の宮に游与岐の弥仙山、肝川の割岩山等に出陣し、神軍の一大威力を示したるは、天地開闢以来未曾有の大神事で在りました。」〔『神霊界』大正8年12月15日号「随筆」〕
- 「一厘の仕組とは言霊であって、これを呼び起こすのである。大本では演習したのである。(大正八年旧八月七日)大台ケ原(旧八月十一日)伊吹山(旧八月九日)へ王仁が教えて派遣し、王仁は鎌倉に行ったのである。大台ケ原の日出ケ岳から言霊を発射したら○○の船が沈んでしまった。「ミカエル立ちて叫び玉へば山川草木皆靡く」とあるのはそれである。○○の船を浪に沈めてしまうのである。こんな事を言うと気狂だと言うから言わぬけれど……。」〔新月の光0375「一厘の仕組は言霊」〕