コンテンツにスキップ

上野音次郎

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
王仁三郎の右側の眼鏡をかけた人物が上野音次郎。
昭和27年(1952年)5月5日に復刊した紙面に、顧問の「上野公園」名で大正日日新聞社の歴史が綴られている。

上野音次郎(うえの おとじろう)は、蚕都新聞社の社長。筆名「上野公園」。

昭和7年~13年頃まで大正日日新聞社の社長。昭和27年に復刊した際には同社の顧問を務めた。[1] [2]

脚注

  1. 大本七十年史 上巻』「文書宣伝#」:〈米田は大正一二年三月二八日より同紙を発行していたが契約を履行しなかったため、昭和七年二月に上野音次郎が委任をうけ、池沢への委任を解いた。上野は昭和七年四月一日、「大正日日新聞」の休刊の手続をとり、あらためて復刊する準備をすすめた。〉
  2. 上野公園執筆「正系の大正日日復刊#」(『大正日日新聞』昭和27年5月5日付)