「月光閣」の版間の差分
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霊界物語の口述場所としても使われ、大正14年(1925年)1月に[[第68巻]]が、大正15年1月に[[第71巻]]が口述された。 | 霊界物語の口述場所としても使われ、大正14年(1925年)1月に[[第68巻]]が、大正15年1月に[[第71巻]]が口述された。 |
2018年11月10日 (土) 13:26時点における最新版
月光閣(げっこうかく)は、綾部市上野町にあった大本の建物。
大正14年(1925年)6月9日、人類愛善会が発足したとき、総本部の事務所が月光閣に置かれた。[1] [2]
霊界物語の口述場所としても使われ、大正14年(1925年)1月に第68巻が、大正15年1月に第71巻が口述された。
昭和10年(1935年)12月、第二次大本事件が起きると当局によって、二代・澄子と三代・直日は上野町の桜井同吉宅に軟禁されたが、19日に月光閣に移った。ここには6人ほどの監視がつけられた。[1] [3]
昭和11年(1936年)3月14日、澄子は検挙され、直日は11月下旬に寺山の麓の藤山に移転した。[4]
月光閣の建物は現在は大本の施設ではなく、王仁三郎の子孫が住む個人宅になっている。