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奥都城

3 バイト除去, 2018年10月1日 (月) 16:57
二代教主以降
二代教主(ただし当時の肩書きは[[大本愛善苑]]苑主)の[[出口澄子]]は昭和27年(1952年)3月31日昇天し、4月10日に埋葬祭が行われた。
{{Inyou| 二代教主の奥都城は、開祖・聖師の奥都城の中央後方に築かれた。昇天されたその日の夕、祭出口栄二らによって位置がはかられ、翌四月一日地鎮祭をすますと、みろく殿建設に奉仕していた奉仕者全員を動員して築造にとりかかった。外まわりの石は宝塚からとりよせられたものである。霊柩とともに埋めた銘石は、たて八五センチ(二・八尺)、よこ二四センチ(八寸)の御影石に、表には「大本二代教主出口すみ子之柩」、裏には「昭和二十七年三月三十一日旧三月六日昇天 御齢七十才 出口直日謹書」と彫られたものである。 二代教主の奥都城は、開祖・聖師の奥都城の中央後方に築かれた。昇天されたその日の夕、出口栄二らによって位置がはかられ、翌四月一日地鎮祭をすますと、みろく殿建設に奉仕していた奉仕者全員を動員して築造にとりかかった。外まわりの石は宝塚からとりよせられたものである。霊柩とともに埋めた銘石は、たて八五センチ(二・八尺)、よこ二四センチ(八寸)の御影石に、表には「大本二代教主出口すみ子之柩」、裏には「昭和二十七年三月三十一日旧三月六日昇天 御齢七十才 出口直日謹書」と彫られたものである。
 奥都城の位置については、後日、[[出口伊佐男]]総長からつぎのような発表があった。

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