「綾の大橋」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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== 現実の綾の大橋 ==
 
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[[由良川]]に架かる「綾部橋」のことだと思われる。現在、綾部の大本の聖地近辺には3つの橋(北から丹波大橋、綾部大橋、新綾部大橋)があるが、丹波大橋は昭和43年(1968年)に、新綾部大橋は昭和63年(1988年)に開通しており<ref>橋の開通年は綾部市公式サイトの「[https://www.city.ayabe.lg.jp/koho/shise/gaiyo/profile/ayumi.html 綾部市のあゆみ]」による。</ref>、いずれも最近のものである。王仁三郎在世中は綾部橋(綾部大橋とも呼ぶ)しかなく、聖地へ渡るランドマーク的な橋だったと思われる。現在の綾部橋は昭和4年(1929年)に架けられた鉄骨製のもので、それ以前は現在地より6~7メートル下流に木造の橋が架かっていた<ref>「[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/142071/2 綾部大橋]」(文化遺産オンライン)、「[http://ayabe.city-news.jp/oohashi/003.htm 時代の架け橋 登録文化財 綾部大橋の76年(3)]」(あやべ市民新聞)</ref>。
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[[由良川]]に架かる「綾部橋」のことだと思われる。現在、綾部の大本の聖地近辺には3つの橋(北から丹波大橋、綾部大橋、新綾部大橋)があるが、丹波大橋は昭和43年(1968年)に、新綾部大橋は昭和63年(1988年)に開通しており<ref>橋の開通年は綾部市公式サイトの「[https://www.city.ayabe.lg.jp/koho/shise/gaiyo/profile/ayumi.html 綾部市のあゆみ]」による。</ref>、いずれも最近のものである。王仁三郎在世中は綾部橋(現在は綾部大橋とも呼ぶ)しかなく、聖地へ渡るランドマーク的な橋だったと思われる。現在の綾部橋は昭和4年(1929年)に架けられた鉄骨製のもので、それ以前は現在地より6~7メートル下流に木造の橋が架かっていた<ref>「[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/142071/2 綾部大橋]」(文化遺産オンライン)、「[http://ayabe.city-news.jp/oohashi/003.htm 時代の架け橋 登録文化財 綾部大橋の76年(3)]」(あやべ市民新聞)</ref>。
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大本[[節分大祭]]の[[人型流し]]は、綾部大橋の上で行われる。
  
 
== 脚注 ==
 
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2018年9月15日 (土) 11:19時点における版

綾の大橋(あやのおおはし)は、霊界物語に登場する橋。綾の聖地の近くにある。

初出:第10巻第27章言霊解一#

現実の綾の大橋

由良川に架かる「綾部橋」のことだと思われる。現在、綾部の大本の聖地近辺には3つの橋(北から丹波大橋、綾部大橋、新綾部大橋)があるが、丹波大橋は昭和43年(1968年)に、新綾部大橋は昭和63年(1988年)に開通しており[1]、いずれも最近のものである。王仁三郎在世中は綾部橋(現在は綾部大橋とも呼ぶ)しかなく、聖地へ渡るランドマーク的な橋だったと思われる。現在の綾部橋は昭和4年(1929年)に架けられた鉄骨製のもので、それ以前は現在地より6~7メートル下流に木造の橋が架かっていた[2]

大本節分大祭人型流しは、綾部大橋の上で行われる。

脚注

  1. 橋の開通年は綾部市公式サイトの「綾部市のあゆみ」による。
  2. 綾部大橋」(文化遺産オンライン)、「時代の架け橋 登録文化財 綾部大橋の76年(3)」(あやべ市民新聞)