「大本時報」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
ページの作成:「thumb|『大本時報』第128号 thumb|100px|改題第1号 '''大本時報'''(おおもとじほう)とは、大正時代に大本が綾部で発行していた対外宣教用の週刊新聞。『綾部新聞』を改題した。タブロイド判8頁。 『神霊界』は皇道大本の機関誌として、『大本時報』は大日本修斎会の機関紙…」
 
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'''大本時報'''(おおもとじほう)とは、大正時代に[[大本]]が綾部で発行していた対外宣教用の週刊新聞。『[[綾部新聞]]』を改題した。タブロイド判8頁。
'''大本時報'''(おおもとじほう)とは、大正時代に[[大本]]が綾部で発行していた対外宣教用の週刊新聞。『[[綾部新聞]]』を改題した。タブロイド判8頁。
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* 「[[大本年表]]」
* 「[[大本年表]]」
* 『[[神霊界]]』大正8年(1919年)9月15日号31頁に[[大日本修斎会]]編集局による「神霊界の改良と大本時報の発行」と題する告知が掲載されている。それによると綾部新聞は9月21日号で終刊とし、10月5日からは綾部新聞を拡大して大本時報という週刊新聞を発刊し、時期を見て日刊新聞にするという方針が発表されている。
* 『[[神霊界]]』大正8年(1919年)9月15日号31頁に[[大日本修斎会]]編集局による「神霊界の改良と大本時報の発行」と題する告知が掲載されている。それによると綾部新聞は9月21日号で終刊とし、10月5日からは綾部新聞を拡大して大本時報という週刊新聞を発刊し、時期を見て日刊新聞にするという方針が発表されている。
== 脚注 ==
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[[Category:機関紙誌]]
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2025年3月30日 (日) 10:56時点における版

『大本時報』第128号
改題第1号

大本時報(おおもとじほう)とは、大正時代に大本が綾部で発行していた対外宣教用の週刊新聞。『綾部新聞』を改題した。タブロイド判8頁。

神霊界』は皇道大本の機関誌として、『大本時報』は大日本修斎会の機関紙として発行された。

  • 綾部新聞』は大正8年(1919年)9月21日号(第64号)で終刊。同年10月5日から『大本時報』を発刊。
  • 大正9年(1920年)9月14日、『大正日日新聞』発行のため『大本時報』休刊。
  • 同年11月30日、『大本時報』第119号をもって休刊となる。

【主な参考文献】

  • 大本七十年史 上巻』「教説の刊行と「大本時報」#
  • 大本年表
  • 神霊界』大正8年(1919年)9月15日号31頁に大日本修斎会編集局による「神霊界の改良と大本時報の発行」と題する告知が掲載されている。それによると綾部新聞は9月21日号で終刊とし、10月5日からは綾部新聞を拡大して大本時報という週刊新聞を発刊し、時期を見て日刊新聞にするという方針が発表されている。