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[[ファイル:東京朝日新聞1940年12月11日夕刊(12日付)p2.jpg|thumb|『東京朝日新聞』昭和15年(1940年)12月11日夕刊 大政翼賛会の東京府支部の結成式が軍人会館で開かれたことを伝えている。本文2~4行目「十一日午後一時から九段軍人会館で結成式並に記念講演会を挙行した」]]
[[ファイル:東京朝日新聞1940年12月11日夕刊(12日付)p2.jpg|thumb|『東京朝日新聞』昭和15年(1940年)12月11日夕刊 大政翼賛会の東京府支部の結成式が軍人会館で開かれたことを伝えている。本文2~4行目「十一日午後一時から九段軍人会館で結成式並に記念講演会を挙行した」]]


一部の大本関係書の[[雛型]]・[[数運]]を紹介する下りで、[[大政翼賛会]]の発会式が軍人会館で開かれたと記されている場合がある。
一部の大本関係書の[[雛型]]・[[数運]]を紹介する下りで、[[大政翼賛会]]の発会式が軍人会館で開かれたと記されている場合がある(下の例を参照)。
 
しかし当時の新聞報道によると、大政翼賛会の発会式は昭和15年(1940年)10月12日に'''首相官邸で'''開かれている。大政翼賛会東京府支部の結成式が同年12月11日に'''軍人会館で'''開かれており、それと混同している可能性がある。


【例1】〈ことに'''大政翼賛会の発会式は、神聖会の発会式と場所も同じく九段の軍人会館において'''、ほとんど同じ形式のもとに開かれたが、その活動状況まで酷似しているのも不思議である。〉〔昭和33年(1958年)発行、『[[大本の神示と世界の将来]]』27頁〕
【例1】〈ことに'''大政翼賛会の発会式は、神聖会の発会式と場所も同じく九段の軍人会館において'''、ほとんど同じ形式のもとに開かれたが、その活動状況まで酷似しているのも不思議である。〉〔昭和33年(1958年)発行、『[[大本の神示と世界の将来]]』27頁〕
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【例3】〈この昭和神聖会の発会式は、東京九段の軍人会館において、大臣や陸海軍の将官がずらりとならび、盛大に行われたが、それから六年目の同じ日に、第二次近衛内閣が組閣されている。政府が太平洋戦争に踏み切ることを明確に決意したのは、陸相に東条英機をすえた第二次近衛内閣のときである。組閣と同時に日独伊軍事同盟をむすび、仏印に進駐して南方の資源を押さえ、'''十月には九段の軍人会館で大政翼賛会の発会式を行い'''、着々戦争の準備を整えた〉〔昭和63年(1988年)発行、『大本案内』31頁<ref>『大本案内』は[[大本本部]]発行の全82頁の小冊子。昭和63年発行の十刷を使用。初版は昭和50年発行。</ref>〕
【例3】〈この昭和神聖会の発会式は、東京九段の軍人会館において、大臣や陸海軍の将官がずらりとならび、盛大に行われたが、それから六年目の同じ日に、第二次近衛内閣が組閣されている。政府が太平洋戦争に踏み切ることを明確に決意したのは、陸相に東条英機をすえた第二次近衛内閣のときである。組閣と同時に日独伊軍事同盟をむすび、仏印に進駐して南方の資源を押さえ、'''十月には九段の軍人会館で大政翼賛会の発会式を行い'''、着々戦争の準備を整えた〉〔昭和63年(1988年)発行、『大本案内』31頁<ref>『大本案内』は[[大本本部]]発行の全82頁の小冊子。昭和63年発行の十刷を使用。初版は昭和50年発行。</ref>〕
しかし当時の新聞報道によると、大政翼賛会の発会式は昭和15年(1940年)10月12日に'''首相官邸で'''開かれている。大政翼賛会東京府支部の結成式が同年12月11日に'''軍人会館で'''開かれており、それと混同している可能性がある。


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