「竜神よ、我に来たれ!」の版間の差分

30行目: 30行目:


== 出雲大神宮宮司の談話 ==
== 出雲大神宮宮司の談話 ==
241~245頁(徳間書店版)に、著者が亀岡の[[出雲大神宮]]に行った時の、広瀬宮司<ref>名前は広瀬伯紀?</ref>の談話が載っている。
241~245頁(徳間書店版)に、著者が亀岡の[[出雲大神宮]]に行った時の、広瀬宮司の談話が載っている。


{{inyou|
{{inyou|
58行目: 58行目:
 おまけに、保身用として、天孫系の神さんを迎えたりしているからね」|本書243~245頁}}
 おまけに、保身用として、天孫系の神さんを迎えたりしているからね」|本書243~245頁}}


(言うまでもないが、「王仁三郎が奉じていた、本当の神さま」とは広瀬宮司や著者の解釈に過ぎない)
この「王仁三郎が奉じていた、本当の神さま」とは広瀬宮司や著者の解釈である。
 
広瀬宮司とは昭和8年(1933年)9月に就任した広瀬伯紀だと思われる。その父親の広瀬侍郎は明治44年(1911年)5月に宮司に就任しているが、明治8年(1875年)生まれであり、明治4年生まれの王仁三郎より年下である。従って「うちの親父がしばらく預かり」という広瀬宮司の話には信憑性がない。父親ではなく祖父ならば可能性としてあり得るが、広瀬家は出雲神社の社家であり千歳に住んでいる。それがなぜ離れた穴太の上田喜三郎と面識があったのか疑問がある。 →「[[出雲大神宮]]」に戦前の宮司一覧がある。


== 脚注 ==
== 脚注 ==