「出口和明」の版間の差分
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* 昭和38年(1963年)、ペンネーム「野上竜」で書いた『凶徒』という小説で、第2回オール読物推理小説新人賞(文藝春秋社)を受賞。『オール読物』9月号で発表される。<ref>このとき西村京太郎が『歪んだ朝』で同時入賞している。</ref> | * 昭和38年(1963年)、ペンネーム「野上竜」で書いた『凶徒』という小説で、第2回オール読物推理小説新人賞(文藝春秋社)を受賞。『オール読物』9月号で発表される。<ref>このとき西村京太郎が『歪んだ朝』で同時入賞している。</ref> | ||
* 昭和43年(1968年)機関誌『[[おほもと]]』誌上に『[[大地の母]]』の連載を開始する。やがて大本本部の方針に疑問を持つようになり教団改革運動を起こす。これが後に「[[第三次大本事件]]」と呼ばれるようになる。 | * 昭和43年(1968年)機関誌『[[おほもと]]』誌上に『[[大地の母]]』の連載を開始する。やがて大本本部の方針に疑問を持つようになり教団改革運動を起こす。これが後に「[[第三次大本事件]]」と呼ばれるようになる。 | ||
* 昭和55年(1980年)3月、株式会社[[いづとみづの会]]を有志らと設立。機関誌『[[いづとみづ]] | * 昭和55年(1980年)3月、株式会社[[いづとみづの会]]を有志らと設立。機関誌『[[いづとみづ]]』を発行して教団改革を訴える。 | ||
* 昭和57年(1982年)2月、宣伝使を解任される。同年4月、[[出口昭弘]]、[[坂田三郎]]と共に教団を相手取り地位確認訴訟を起こす。(昭和63年9月に訴訟取り下げ) | * 昭和57年(1982年)2月、宣伝使を解任される。同年4月、[[出口昭弘]]、[[坂田三郎]]と共に教団を相手取り地位確認訴訟を起こす。(昭和63年9月に訴訟取り下げ) | ||
* 昭和61年(1986年)11月、有志らと[[愛善苑]]を設立。 | * 昭和61年(1986年)11月、有志らと[[愛善苑]]を設立。 | ||