「国見山」の版間の差分
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「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。 | 「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。 | ||
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2018年4月15日 (日) 00:13時点における版
国見山(くにみやま)は、京都府舞鶴市瀬崎にある山で、沓島・冠島の遥拝所がある。
昭和21年(1946年)4月3日、出口王仁三郎・澄子夫妻は、舞鶴の大丹生支部を巡教に訪れた際に、小高い丘に登り、沓島・冠島を遙拝した。このとき王仁三郎は山を「国見山」、登り坂を「国見坂」と命名した。
以降、ここを遥拝所として、毎年7月8日(6月8日のときもあった)に国見山から沓島・冠島遥拝祭を行なっている。
瀬崎在住の富永喜太郎が国見山の山林約1042坪を管財局から払い下げを受け、それを大本へ寄付をし、昭和32年(1957年)に登記を行なった。[1]
「国見」とは「国の形成を高所か望み見ること」〔広辞苑〕。
霊界物語には入蒙記第17章「明暗交々」#に1回だけ出て来るが、舞鶴の国見山ではなく、地勢を見渡せる場所という一般名詞だと思われる。「日出雄は温長興、岡崎鉄首と倶に国見山に登らむとした時」
参考文献
脚注
- ^ 登記が行なわれた具体的な月日は、七十年史の上巻257頁には4月18日に「登記をした」、下巻1090頁には5月10日に「登記をおえた」と書いてある。