「故山の夢」の版間の差分

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== 少年・青年時代の回顧歌集について ==
== 少年・青年時代の回顧歌集について ==


王仁三郎は昭和5年(1930年)7月から回顧歌を詠み始め、『[[真如の光]]』に同年8月5日号から10年10月17日号まで連載された。数え年で10歳頃から36歳頃までの出来事が歌われている。これらの歌は「故山の夢」(10~28歳頃)、「霧の海」(8~28歳頃)、「青嵐」(29歳頃)、「浪の音」(30~31歳頃)、「百千鳥」(32~35歳頃)、「都鳥(みやこどり)」(36歳頃)という題が付けられており、同題の歌集として刊行された。「都鳥」は昭和10年10月10日号と同月17日号の2回連載しただけで休載となった<ref>『真如の光』昭和10年10月25日号p1に「回顧歌都鳥は作者御多忙に為め本回は休載いたします」とあり、同号からは代わりに道歌が掲載されている。</ref>。「故山の夢」から「浪の音」までの4冊は王仁三郎在世中に刊行されたが、「百千鳥」は昇天後に刊行された。「都鳥」は歌数が少ないため「百千鳥」の最後に付け加えられている。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第五巻 人間王仁三郎』「解題」p457の「故山の夢」の項</ref>
王仁三郎は昭和5年(1930年)7月から回顧歌を詠み始め、『[[真如の光]]』に同年8月5日号から10年10月17日号まで連載された。数え年で9歳頃から36歳頃までの出来事が歌われている。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第五巻 人間王仁三郎』「解題」p457の「故山の夢」の項</ref>
 
これらの歌は
* 「故山の夢」(9~28歳頃) →第3歌集 [[故山の夢]]
* 「霧の海」(8~28歳頃) →第6歌集 [[霧の海 (歌集)|霧の海]]
* 「青嵐」(29歳頃) →第8歌集 [[青嵐]]
* 「浪の音」(30~31歳頃) →第10歌集 [[浪の音]]
* 「百千鳥」(32~35歳頃) →歌集 [[百千鳥]]
* 「都鳥(みやこどり)」(36歳頃) →[[都鳥]] →歌集 [[百千鳥]]
という題が付けられており、同題の歌集として刊行された。
 
「都鳥」は昭和10年10月10日号と同月17日号の2回連載しただけで休載となった<ref>『真如の光』昭和10年10月25日号p1に「回顧歌都鳥は作者御多忙に為め本回は休載いたします」とあり、同号からは代わりに道歌が掲載されている。</ref>
 
「故山の夢」から「浪の音」までの4冊は王仁三郎在世中に刊行されたが、「百千鳥」は昇天後に刊行された。「都鳥」は歌数が少ないため「百千鳥」の最後に付け加えられている。


== 脚注 ==
== 脚注 ==