「人類愛善会」の版間の差分
ページの作成:「'''人類愛善会'''(じんるいあいぜんかい)は、大正14年(1925年)に設立された大本の外郭団体。母体である大本教団は宗教的・内面的な活動を担い、人類愛善会は宗際的・国際的・社会的な活動を担う。 本項では主に、第二次大本事件までの人類愛善会について解説する。 == 概要 == * 出口王仁三郎が総裁。 * 人類愛善会の根本理念は、人…」 |
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[[ファイル:人類愛善会章.png|thumb|人類愛善会章]] | |||
[[ファイル:人類愛善会の旗.jpg|thumb|人類愛善会の旗]] | |||
[[ファイル:光照殿1.jpg|thumb|総本部が置かれた[[光照殿]](天恩郷内)]] | |||
'''人類愛善会'''(じんるいあいぜんかい)は、大正14年(1925年)に設立された[[大本]]の外郭団体。母体である大本教団は宗教的・内面的な活動を担い、人類愛善会は宗際的・国際的・社会的な活動を担う。 | '''人類愛善会'''(じんるいあいぜんかい)は、大正14年(1925年)に設立された[[大本]]の外郭団体。母体である大本教団は宗教的・内面的な活動を担い、人類愛善会は宗際的・国際的・社会的な活動を担う。 | ||
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== 概要 == | == 概要 == | ||
* [[出口王仁三郎]]が総裁。 | * [[出口王仁三郎]]が総裁。<ref name="sousai">王仁三郎が総裁に就任した時期は諸説ある。→「[[トーク:人類愛善会]]」</ref> | ||
* 人類愛善会の根本理念は、人類は本来兄弟同胞であり、一心同体であるという自覚に立ち、人種、国家、宗教などのあらゆる障壁を超越して、世界恒久平和と地上天国の実現を目指すことにある<ref name="B195401c4421">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4421|発会と主旨}}」</ref>。 | * 人類愛善会の根本理念は、人類は本来兄弟同胞であり、一心同体であるという自覚に立ち、人種、国家、宗教などのあらゆる障壁を超越して、世界恒久平和と地上天国の実現を目指すことにある<ref name="B195401c4421">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4421|発会と主旨}}」</ref>。 | ||
* 「[[人類愛善]]」の「人類」とは「人群万類」の略である。人間だけでなく鳥獣から山河草木まで森羅万象一切が含まれる。「人群万類愛善会」では長過ぎるので省略された。<ref>『出口王仁三郎全集 第五巻』「{{obc|B121805c229|国難は国福なり}}」</ref> <ref>『惟神の道』「{{obc|B123900c003|神の経綸}}」</ref> | * 「[[人類愛善]]」の「人類」とは「人群万類」の略である。人間だけでなく鳥獣から山河草木まで森羅万象一切が含まれる。「人群万類愛善会」では長過ぎるので省略された。<ref>『出口王仁三郎全集 第五巻』「{{obc|B121805c229|国難は国福なり}}」</ref> <ref>『惟神の道』「{{obc|B123900c003|神の経綸}}」</ref> | ||
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国内での宣教において最大の武器となったのが、大正14年(1925年)10月に創刊された『[[人類愛善新聞]]』である。当初は月刊だったが、後に旬刊となり、昭和5年(1930年)には東京へ進出した。王仁三郎は「人類愛善新聞が百万の購読者を得なければ、国内の愛善化は難しい」として新聞の拡張を指示し、信者や青年会員による「一部売り(街頭・戸別販売)」によって驚異的な普及を遂げた。昭和9年(1934年)3月には、当時の大手日刊紙を凌駕する発行部数100万部を達成した。新聞は、皇道精神の啓発だけでなく、農村の窮状救済や国防思想の普及など、当時の社会情勢に密着した論調を展開し、一般国民の間に広く浸透した。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5122|満州巡教と世界紅卍字会}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c52211|多彩な大本}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref> | 国内での宣教において最大の武器となったのが、大正14年(1925年)10月に創刊された『[[人類愛善新聞]]』である。当初は月刊だったが、後に旬刊となり、昭和5年(1930年)には東京へ進出した。王仁三郎は「人類愛善新聞が百万の購読者を得なければ、国内の愛善化は難しい」として新聞の拡張を指示し、信者や青年会員による「一部売り(街頭・戸別販売)」によって驚異的な普及を遂げた。昭和9年(1934年)3月には、当時の大手日刊紙を凌駕する発行部数100万部を達成した。新聞は、皇道精神の啓発だけでなく、農村の窮状救済や国防思想の普及など、当時の社会情勢に密着した論調を展開し、一般国民の間に広く浸透した。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5122|満州巡教と世界紅卍字会}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c52211|多彩な大本}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref> | ||
=== 南米への進出 == | === 南米への進出 === | ||
南米への展開も特筆すべきものがある。ブラジルでは大正13年(1924年)に移住した信者によって布教が始まり、病気お取次は現地の人々の間でも大きな評判となった。カトリックを国教とするブラジルの当局による圧迫を受けながらも、昭和8年(1933年)6月にはサンパウロ州政府から新精神運動団体として公認を受けるに至った。昭和9年(1934年)10月には、ブラジルのウベルランディアに神殿「[[愛神殿]]」が完成し、ポルトガル語による祝詞奏上など、現地社会に根ざした活動が展開された。メキシコでも各地に支部が設置された。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5123|海外の宣教}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5432|海外での発展}}」</ref> | 南米への展開も特筆すべきものがある。ブラジルでは大正13年(1924年)に移住した信者によって布教が始まり、病気お取次は現地の人々の間でも大きな評判となった。カトリックを国教とするブラジルの当局による圧迫を受けながらも、昭和8年(1933年)6月にはサンパウロ州政府から新精神運動団体として公認を受けるに至った。昭和9年(1934年)10月には、ブラジルのウベルランディアに神殿「[[愛神殿]]」が完成し、ポルトガル語による祝詞奏上など、現地社会に根ざした活動が展開された。メキシコでも各地に支部が設置された。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5123|海外の宣教}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5432|海外での発展}}」</ref> | ||
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** 10月25日(旧9月8日):[[光照殿]]竣成奉告祭。 | ** 10月25日(旧9月8日):[[光照殿]]竣成奉告祭。 | ||
** 11月7日:総本部が[[光照殿]]に移転する。<ref>『[[人類愛善新聞]]』大正14年(1925年)12月1日号、p.3</ref> | ** 11月7日:総本部が[[光照殿]]に移転する。<ref>『[[人類愛善新聞]]』大正14年(1925年)12月1日号、p.3</ref> | ||
* 大正15年(1926年)4月18日:人類愛善会第一回総会が[[光照殿]]で開かれる。規約が全面的に改正され、会章が制定された。王仁三郎が総裁に推戴され、宇知丸が会長に就任した。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4422|規約改正と組織・活動}}」</ref> <ref | * 大正15年(1926年)4月18日:人類愛善会第一回総会が[[光照殿]]で開かれる。規約が全面的に改正され、会章が制定された。王仁三郎が総裁に推戴され、宇知丸が会長に就任した。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4422|規約改正と組織・活動}}」</ref> <ref name="sousai" /> | ||
* 昭和2年(1927年)10月31日:人類愛善会旗ができる。 | * 昭和2年(1927年)10月31日:人類愛善会旗ができる。 | ||
* 昭和3年(1928年) | * 昭和3年(1928年) | ||