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:'''第二巻'''(昭和25年発行)昭和6年(1931年)10月2日口述、76頁:〈その後拓務省には、「宣統帝を擁立しようとする復辟運動には、大本教の出口王仁三郎なんかも働いてゐるし、また土肥原大佐も力を添へてゐる」といふやうな報告が来てゐる。〉 | :'''第二巻'''(昭和25年発行)昭和6年(1931年)10月2日口述、76頁:〈その後拓務省には、「宣統帝を擁立しようとする復辟運動には、大本教の出口王仁三郎なんかも働いてゐるし、また土肥原大佐も力を添へてゐる」といふやうな報告が来てゐる。〉 | ||
:'''第四巻'''(昭和26年発行)昭和10年(1935年)12月25日口述、392頁、12月13日の記事:〈総理の所から帰って暫くすると、警保局長が訪ねて来て、例の大本教の検挙の問題をいろいろ話してをつた。で、 「結局不敬罪と治安維持法の両方を適用することができるやうな犯罪事実がある。昭和神聖会の方は大日本生産党と関係があり、総裁は出口王仁三郎で、副総裁は内田良平といふやうなことになつてゐる。さうして政治家で、少しでも色気があるやうなところには、さかんに手紙をやりとりしてをつて、その手紙が相当に出て来た。」 といふ話であつた。〉:文中の「警保局長」とは[[唐沢俊樹]]だと思われる。 | :'''第四巻'''(昭和26年発行)昭和10年(1935年)12月25日口述、392頁、12月13日の記事:〈総理の所から帰って暫くすると、警保局長が訪ねて来て、例の大本教の検挙の問題をいろいろ話してをつた。で、 「結局不敬罪と治安維持法の両方を適用することができるやうな犯罪事実がある。昭和神聖会の方は大日本生産党と関係があり、総裁は出口王仁三郎で、副総裁は内田良平といふやうなことになつてゐる。さうして政治家で、少しでも色気があるやうなところには、さかんに手紙をやりとりしてをつて、その手紙が相当に出て来た。」 といふ話であつた。〉:文中の「警保局長」とは[[唐沢俊樹]]だと思われる。 | ||
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