「出口直」の版間の差分
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ファイル:出口龍子.jpg|[[出口龍子]] | ファイル:出口龍子.jpg|[[出口龍子]] | ||
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== 略年表 == | == 略年表 == | ||
→詳細は「[[大本#略年表]]」 | |||
* 天保7年12月16日(1837年1月22日):桐村ナオ生誕。 | * 天保7年12月16日(1837年1月22日):桐村ナオ生誕。 | ||
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* 大正7年(1918年)11月6日(旧10月3日)(81歳):昇天。 | * 大正7年(1918年)11月6日(旧10月3日)(81歳):昇天。 | ||
== | == 略史 == | ||
明治25年(1892年)大本開教後の出口直の人生は大本の歴史と同じである。 | |||
→「[[大本の歴史#略史]]」 | |||
=== 最初の綾部移住の時期 === | ここではそこに書き切れない細かな事柄を記す。 | ||
=== 開教前 === | |||
==== 最初の綾部移住の時期 ==== | |||
桐村ナオは叔母・[[出口ユリ]]に強く頼まれて養女になり綾部に移住したが、強欲で薄情な親戚が嫌になり<ref>『[[幼ながたり]]』{{obc|B124900c04|2 母の生いたち}}:「綾部に来てみれば、親類はあっても、薄情な者ばかりで(略)六カ月ほどは一人で留守をされていましたが、清れんなお気持ちの教祖さまにとって、あまり気持ちの淋しくなる事ばかりが続いて、こらえきれぬので福知山に帰ってしまわれました」</ref>、数ヶ月して福知山に帰ってしまった。その後出口ユリの霊が現れて責められたため再度綾部に行き結婚する。この最初の綾部移住の時期について諸説がある。 | 桐村ナオは叔母・[[出口ユリ]]に強く頼まれて養女になり綾部に移住したが、強欲で薄情な親戚が嫌になり<ref>『[[幼ながたり]]』{{obc|B124900c04|2 母の生いたち}}:「綾部に来てみれば、親類はあっても、薄情な者ばかりで(略)六カ月ほどは一人で留守をされていましたが、清れんなお気持ちの教祖さまにとって、あまり気持ちの淋しくなる事ばかりが続いて、こらえきれぬので福知山に帰ってしまわれました」</ref>、数ヶ月して福知山に帰ってしまった。その後出口ユリの霊が現れて責められたため再度綾部に行き結婚する。この最初の綾部移住の時期について諸説がある。 | ||
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『大本年表』や『大本七十年史』が、ナオの移住はユリの自殺前だと解釈しているのは、澄子の記憶の中で、ユリの自殺後という記憶よりも、ナオが18歳または16歳の時だという年齢の記憶の方が信用できると考えたためではないか? 数えで18歳なら嘉永6年(1853年)、16歳なら嘉永4年(1851年)であり、ユリの自殺(1854年)より前になる。<ref>現代的な感覚だと、死んだ後で養女になって移住したと考えるよりも、生きている時に養女になって移住したと考えた方が理解しやすいが、江戸時代なので現代とは習慣・風俗が異なる。</ref> | 『大本年表』や『大本七十年史』が、ナオの移住はユリの自殺前だと解釈しているのは、澄子の記憶の中で、ユリの自殺後という記憶よりも、ナオが18歳または16歳の時だという年齢の記憶の方が信用できると考えたためではないか? 数えで18歳なら嘉永6年(1853年)、16歳なら嘉永4年(1851年)であり、ユリの自殺(1854年)より前になる。<ref>現代的な感覚だと、死んだ後で養女になって移住したと考えるよりも、生きている時に養女になって移住したと考えた方が理解しやすいが、江戸時代なので現代とは習慣・風俗が異なる。</ref> | ||
== 著書 == | == 著書 == |