「賀露」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
| 1行目: | 1行目: | ||
[[ファイル:賀露村の位置図.jpg|thumb|昭和12年に鳥取市に合併される前の賀露村の位置。]] | [[ファイル:賀露村の位置図.jpg|thumb|昭和12年に鳥取市に合併される前の賀露村の位置。]] | ||
'''賀露'''(かろ)は、鳥取県の[[千代川]](せんだいがわ)の河口西側の地名。[[霊界物語]]に「'''加露ケ浜'''(かろがはま)」が登場する。また昭和42年に[[出口王仁三郎]]の歌碑が建立された。 | '''賀露'''(かろ)は、鳥取県の[[千代川]](せんだいがわ)の河口西側の地名。[[霊界物語]]に「'''加露ケ浜'''(かろがはま)」が登場する。また昭和42年に'''賀露神社'''境内に[[出口王仁三郎]]の歌碑が建立された。 | ||
== 概要 == | == 概要 == | ||
| 20行目: | 20行目: | ||
結局7月6日から8日まで三日間逗留したが、天気が回復しないためコースを陸路に変更し、10里ほど歩き、鳥取県東伯郡橋津村(現・湯梨浜町橋津)から舟に乗って三保の関へ向かった。〔以上{{rm|38|28|金明水}}、『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1622|出雲の火のご用}}」〕 | 結局7月6日から8日まで三日間逗留したが、天気が回復しないためコースを陸路に変更し、10里ほど歩き、鳥取県東伯郡橋津村(現・湯梨浜町橋津)から舟に乗って三保の関へ向かった。〔以上{{rm|38|28|金明水}}、『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1622|出雲の火のご用}}」〕 | ||
霊界物語には記されていないが『[[大地の母]] | 霊界物語には記されていないが『[[大地の母]]』では、出口直・王仁三郎一行は賀露神社に参拝している<ref>みいづ舎版『[[大地の母]] 第7巻』「朝陽の夢」162頁〈午後三時頃、幸吉の先導で賀露神社(祭神・木の花咲耶姫)に参拝。潮風にさらされた、枝ぶりのおもしろい松林の境内を逍遥した〉</ref>。 | ||
一行は出雲大社に参拝し終わり、帰途は賀露は経由せず、はるか東方の浦富<ref>{{rm|38|28|金明水}}に〈岩井の磯ばた〉と書いてあるが、浦富だと思われる。大地の母では〈十六日朝、浦富海岸に上陸した〉としている。</ref>から上陸している。 | 一行は出雲大社に参拝し終わり、帰途は賀露は経由せず、はるか東方の浦富<ref>{{rm|38|28|金明水}}に〈岩井の磯ばた〉と書いてあるが、浦富だと思われる。大地の母では〈十六日朝、浦富海岸に上陸した〉としている。</ref>から上陸している。 | ||
== | == 出口王仁三郎の歌碑 == | ||
昭和42年(1967年)7月6日、賀露神社境内に[[出口王仁三郎]]の歌碑('''史蹟歌碑'''とか'''加露ヶ浜歌碑'''と呼ばれる)が建立された。縦1m40cm、横2m30cmの青御影石<ref>『[[大本教学]]』第7号収録「出口王仁三郎聖師歌碑集録(木庭次守・記)」(昭和45年2月現在の情報)</ref>。 | |||
歌は〈海鳥《うみどり》の声かしましく賀露ケ浜のあしたになきて波の音《おと》高し〉。 | 歌は〈海鳥《うみどり》の声かしましく賀露ケ浜のあしたになきて波の音《おと》高し〉。 | ||
| 37行目: | 37行目: | ||
賀露ヶ浜大本史蹟碑建立有志}} | 賀露ヶ浜大本史蹟碑建立有志}} | ||
== 賀露神社 == | |||
== ギャラリー == | == ギャラリー == | ||
<gallery> | <gallery> | ||