「原真平」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
 
18行目: 18行目:
原は[[玉川研究所]]で映画制作に取り掛かり、まず、『[[皇軍と少女]]』が制作された。
原は[[玉川研究所]]で映画制作に取り掛かり、まず、『[[皇軍と少女]]』が制作された。


7月27日に王仁三郎臨席で『皇軍と少女』の試写会が開かれたが、不評だったため公開はされず、玉川研究所は8月中に閉鎖されることとなった。
7月27日に王仁三郎臨席で『皇軍と少女』の試写会が開かれたが、不評だったため公開はされず、玉川研究所は8月中に閉鎖されることとなった。→詳細は「[[玉川研究所]]」


以後、大本と原真平の関係は絶たれたようである。<ref>『[[戦前における右翼団体の状況]] 下巻 その一』105頁〈こうして八月下旬には昭和神聖会映画部玉川研究所は原真平ともいっさい関係を絶って、名実ともにこれを閉鎖し〉</ref>
以後、大本と原真平の関係は絶たれたようである。<ref>『[[戦前における右翼団体の状況]] 下巻 その一』105頁〈こうして八月下旬には昭和神聖会映画部玉川研究所は原真平ともいっさい関係を絶って、名実ともにこれを閉鎖し〉</ref>