「大中教」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''大中教'''(だいちゅうきょう)は、霊界物語に登場する宗教。[[ウラル彦]]が創始した宗教で、[[ウラル教]]の旧称。
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極端な個人主義の教理で、己一人を中心とする主義。「大」は「一人」と書く。本来は、[[盤古神王]](ここではウラル彦が偽称した偽の盤古神王)ただ一人がこの世界の神であり、王者であり、最大権威者であり、この「一人」を中心として総ての命令に服従せよ、という教えであった。しかし大中教の宣伝使たちが、この立教の意義を誤解して、己一人を中心とするのが大中教の教えであると変節し、最も忌むべき利己主義のやり方と化してしまった。
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極端な個人主義の教理で、己一人を中心とする主義。「大」は「一人」と書く。本来は、[[盤古神王]](ここではウラル彦が偽称した偽の盤古神王)ただ一人がこの世界の神であり、王者であり、最大権威者であり、この「一人」を中心として総ての命令に服従せよ、という教えであった。しかし大中教の宣伝使たちが、この立教の意義を誤解して、己一人を中心とするのが大中教の教えであると変節し、最も忌むべき利己主義のやり方と化してしまった。<ref>{{rm|6|31|襤褸の錦}}</ref>
 
 
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== 主なエピソード ==
 
== 主なエピソード ==
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* [[月の国]]の[[白雪郷]]で、[[日の出神]]一行が大中教に脅迫されていた村人や祝姫らを解放する。〔{{rm|7|9}}~{{rms|7|12}}〕
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* [[筑紫島]]の[[筑紫の都]]の町外れで、酔っ払っている大中教の宣伝使・[[蚊取別]]を、三五教の[[日の出神]]一行が言向け和す。〔{{rm|7|43}}~{{rms|7|45}}〕
  
*月の国(インド)の[[白雪郷]]で、[[日の出神]]一行が大中教に脅迫されていた村人や祝姫らを解放する。{{rm|7|9}}~{{rm|7|12}}
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== 脚注 ==
*筑紫島(アフリカ)の[[筑紫の都]]の町外れで、酔っ払っている大中教の宣伝使・[[蚊取別]]を、三五教の[[日の出神]]一行が言向け和す。{{rm|7|43}}~{{rm|7|45}}
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<references/>
  
[[Category:霊界物語の宗教|たいちゅうきょう]]
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[[Category:霊界物語の宗教|たいちゆうきよう]]

2019年3月4日 (月) 11:47時点における版

大中教(だいちゅうきょう)は、霊界物語に登場する宗教。ウラル彦が創始した宗教で、ウラル教の旧称。

極端な個人主義の教理で、己一人を中心とする主義。「大」は「一人」と書く。本来は、盤古神王(ここではウラル彦が偽称した偽の盤古神王)ただ一人がこの世界の神であり、王者であり、最大権威者であり、この「一人」を中心として総ての命令に服従せよ、という教えであった。しかし大中教の宣伝使たちが、この立教の意義を誤解して、己一人を中心とするのが大中教の教えであると変節し、最も忌むべき利己主義のやり方と化してしまった。[1]

初出は第6巻第31章襤褸の錦#で、最後に出るのは第8巻第9章鏡の池#。同時並行して「ウラル彦の教(おしえ)」という表現が使われている。「ウラル教」という言葉が初めて出るのは第7巻第45章酒魂#である。

主なエピソード

脚注