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'''長生殿'''(ちょうせいでん)は、[[綾部]]の[[梅松苑]]にある礼拝施設。[[本宮山]]を御神体山とする神殿で、総桧造り。20世紀最大の木造建築だと言われている。 | '''長生殿'''(ちょうせいでん)は、[[綾部]]の[[梅松苑]]にある礼拝施設。[[本宮山]]を御神体山とする神殿で、総桧造り。20世紀最大の木造建築だと言われている。 |
2018年11月9日 (金) 22:36時点における版
この項目では、平成4年に完成した長生殿について説明しています。その他の用法については「長生殿 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
長生殿(ちょうせいでん)は、綾部の梅松苑にある礼拝施設。本宮山を御神体山とする神殿で、総桧造り。20世紀最大の木造建築だと言われている。
概要
次の5つの建物から構成される。[1]
- 長生殿:中央の神殿(5つの建物の総称としても長生殿と呼ぶ)
- 老松殿:右の建物
- 白梅殿:左の建物
- 鶴亀殿:手前
- 木の花閣:老松殿の右側
造営の経緯
昭和28年(1953年)4月、梅松苑にみろく殿が完成する。昭和32年8月、みろく殿の位置について三代教主・出口直日は「現在のみろく殿の位置は、大神さまを礼拝さして頂く場所として永久的には適当でないと思う。ある時期まではみろく殿に祖霊社を併置し、将来あの建物は祖霊社に当てさして頂くべきではなかろうか」との意向を示した。[2] [3]
霊界物語で綾の聖地の錦の宮が建っている場所は桶伏山と照山の間であるが、それに相応する本宮山の寺山側の麓には、綾部小学校が建っていた。
昭和31年(1956年)11月、綾部市長から綾部小学校を移築した後の敷地は大本に譲渡したいとの申し入れがある。昭和34年11月、開教七十年記念事業の一つとして、その敷地の購入を含めた聖地造営計画(大神苑計画)が決定された。[2] [4] [5]
昭和44年(1969年)6月19日、旧綾部小学校の敷地を入手。「鶴山平」と命名。[6]
昭和50年代半ばに入って、神殿建築構想が具体化して行き、直日自身による鉛筆書きの設計図が示された。この神殿建築群を総称して「長生殿」と命名された。
反教団事件によって計画が5年ほど遅れたが[7]、昭和59年(1984年)11月、長生殿の造営が公表され、昭和62年(1987年)5月に起工される。
当初は経費100億円、工期15年という計画だったが、申し込み献金額は127億円に上り[8]、工期も5年で完成した。
平成2年(1990年)9月に三代教主・出口直日が、翌3年12月には三代教主補・出口日出麿が昇天する。
造営は四代教主・出口聖子の下で続けられ、開教百年の平成4年(1992年)に完成した。
略年表
- 昭和59年(1984年)11月6日、鶴山平に長生殿を造営することを公表。
- 昭和61年(1986年)2月3日、長生殿造営を公示。
- 昭和62年(1987年)5月5日、長生殿起工祭・地搗きの儀。
- 平成4年(1992年)2月3日、本宮山が神体山として禁足地になる。
- 同年5月4日、長生殿・老松殿遷座祭。
- 同年11月6日、開教百年大本開祖大祭・長生殿完成奉告祭。
〔この項は特記ある場合を除き『大本年表』をもとに作成した〕