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出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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透明殿(とうめいでん)は、亀岡天恩郷にあった建物。現在の万祥殿の場所にあり、昭和神聖会統管部が置かれていた[1]

概要

  • 建坪120坪、木造二階建て。王仁三郎の応接用を兼ねて昭和神聖会の統管部に当てた。[2]
  • 後に敷地内に、十三重の塔が建立された。[3]
  • 霊界物語の校正が行われている。(第7、8、16、19巻)

略年表

  • 昭和9年(1934年)3月28日、地鎮祭。[2]
  • 同年4月20日、地搗き。5月15日、斧始式。8月16日、立柱式。8月24日、上棟式。[4]
  • 昭和10年(1935年)2月7日、完成祭。[4] [2]
  • 同年8月2日、石垣工事の竣工式。[4]
  • 昭和11年(1936年)5月、破壊される。[4]

その他

昭和5年5月5日に神示によって全国一斉に神殿・祠宇の扉が開かれたが、昭和10年10月10日再び神示があり、透明殿や光照殿の門が一斉に開放された。これは人間界の神業が5年遅れていることを神界から示されたものである。〔新月の光[5]

脚注

  1. 『大本七十年史 下巻』「指導精神の統一#
  2. 2.0 2.1 2.2 『大本七十年史 下巻』「神苑の造営と祭事#
  3. 「大本年表」昭和10年8月2日の項
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 「大本年表」
  5. 新月の光0151「昭和五年五月五日」