出口寿賀麿(でぐち すがまる)は、王仁三郎の二女・梅野の最初の夫。寿賀麿は大本名。本名は遙(はるか)。旧姓・浅野。(浅野遙)
浅野正恭の養子。
叔父の浅野和三郎の影響で大本に感化される。親の反対を押し切り、大正5年(1916年)11月に中学を中退して綾部へ行く。[1]