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2025年3月15日 (土) 10:16時点における最新版

透明殿(とうめいでん)は、亀岡の天恩郷にあった建物。現在の万祥殿の場所にあり、昭和神聖会統管部が置かれていた[1]。
概要
略年表
- 昭和9年(1934年)3月28日、地鎮祭。[2]
- 同年4月20日、地搗き。5月15日、斧始式。8月16日、立柱式。8月24日、上棟式。[4]
- 昭和10年(1935年)2月7日、完成祭。[4] [2]
- 同年8月2日、石垣工事の竣工式。[4]
- 昭和11年(1936年)5月、破壊される。[4]
その他
昭和5年5月5日に神示によって全国一斉に神殿・祠宇の扉が開かれたが、昭和10年10月10日再び神示があり、透明殿や光照殿の門が一斉に開放された。これは人間界の神業が5年遅れていることを神界から示されたものである。〔新月の光[5]〕