「亀岡叢書」の版間の差分

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'''亀岡叢書'''(かめおかそうしょ)は、大正時代に発刊された[[大本]]の刊行物のシリーズ。「皇道大本研究資料」と銘打っている。
'''亀岡叢書'''(かめおかそうしょ)は、大正時代に発刊された[[大本]]の刊行物のシリーズ。「皇道大本研究資料」と銘打っている。


「[[大本年表]]」及び『[[神霊界]]』掲載広告<ref>『神霊界』大正9年(1920年)12月号113頁掲載の亀岡叢書の広告。第十遍から第十二編に飛んでおり第十一編は不明。</ref>によると、次のようなものがある。発行所は[[大本新聞社]]。
== 概要 ==
『[[大本七十年史]]』<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2341|教説の刊行と「大本時報」}}」</ref>によると第十四編まである。また、亀岡叢書には〈王仁三郎の談話および解説を浅野が整理したものや、個人の研究を発表したものなどが収載されている〉。
 
「[[大本年表]]」及び『[[神霊界]]』掲載広告<ref>『神霊界』大正9年(1920年)12月号113頁掲載の亀岡叢書の広告。第十遍から第十二編に飛んでおり第十一編は不明。最後の2冊(『非医治療法批判(上)』『明治天皇御製と大本神諭』)を入れると全14編になる。</ref>によると、次のような題名である。発行所は[[大本新聞社]]。


* 大正9年(1920年)
* 大正9年(1920年)
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** 2月1日発行、『非医治療法批判(上)』
** 2月1日発行、『非医治療法批判(上)』
** 2月1日発行、『明治天皇御製と大本神諭』
** 2月1日発行、『明治天皇御製と大本神諭』
大正9年9月以降次々と発刊されているが、これは同年8月に亀岡に大道場が完成し、9月14日から修業が綾部から亀岡に移ったことと関係しているようである。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2025年2月11日 (火) 16:38時点における最新版

亀岡叢書(かめおかそうしょ)は、大正時代に発刊された大本の刊行物のシリーズ。「皇道大本研究資料」と銘打っている。

概要

大本七十年史[1]によると第十四編まである。また、亀岡叢書には〈王仁三郎の談話および解説を浅野が整理したものや、個人の研究を発表したものなどが収載されている〉。

大本年表」及び『神霊界』掲載広告[2]によると、次のような題名である。発行所は大本新聞社

  • 大正9年(1920年)
    • 9月18日発行、『仏説法滅尽経の御話』(亀岡叢書第二編)
    • 9月23日発行、『御筆先の解説せる大本霊学』(亀岡叢書第三編)
    • 9月28日発行、『神示の比較宗教論』(亀岡叢書第四編)
    • 10月10日発行、谷口正治・著『鎮魂帰神の要諦』(亀岡叢書第六編)[3]
    • 10月10日発行、『ヨハネ黙示録の研究』(亀岡叢書第五編)
    • 10月20日発行、『皇道大本の教義 霊主体従』(亀岡叢書第一編)
    • 10月20日発行、『基督再臨の真相』(亀岡叢書第七編)
    • 11月10日発行、『天理教祖の筆先と大本神諭』(亀岡叢書第八編)
    • 11月18日発行、『社会主義と皇道大本』(亀岡叢書第九編)
    • 11月20日発行、『大本教祖』(亀岡叢書第十二編)
    • 11月20日発行、『行ふべき道』(亀岡叢書第十編)
  • 大正10年(1921年)
    • 2月1日発行、『言霊と神通力』(亀岡叢書第十三編)
    • 2月1日発行、『非医治療法批判(上)』
    • 2月1日発行、『明治天皇御製と大本神諭』

大正9年9月以降次々と発刊されているが、これは同年8月に亀岡に大道場が完成し、9月14日から修業が綾部から亀岡に移ったことと関係しているようである。

脚注

  1. 大本七十年史 上巻』「教説の刊行と「大本時報」#
  2. 『神霊界』大正9年(1920年)12月号113頁掲載の亀岡叢書の広告。第十遍から第十二編に飛んでおり第十一編は不明。最後の2冊(『非医治療法批判(上)』『明治天皇御製と大本神諭』)を入れると全14編になる。
  3. 天理図書館