「変性女子は偽者」の版間の差分
(→概要) |
|||
(同じ利用者による、間の7版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
+ | [[ファイル:第13巻信天翁(初版).jpg|thumb|初版の「信天翁」]] | ||
+ | [[ファイル:第13巻信天翁(御校正本).jpg|thumb|御校正本の「信天翁」]] | ||
+ | [[ファイル:第13巻信天翁(普及版).jpg|thumb|普及版の「信天翁」]] | ||
+ | |||
'''変性女子は偽者'''(へんじょうにょしはにせもの)は、[[霊界物語]][[第13巻]]巻末に収録されている「[[信天翁]](三)」と題した歌の一節。[[王仁三郎]]が「自分は偽者(偽の救世主)だ」と自白していた歌だと誤解して、王仁三郎の権威を否定したり、自分自身の権威付けに利用したりする人たちがいた。 | '''変性女子は偽者'''(へんじょうにょしはにせもの)は、[[霊界物語]][[第13巻]]巻末に収録されている「[[信天翁]](三)」と題した歌の一節。[[王仁三郎]]が「自分は偽者(偽の救世主)だ」と自白していた歌だと誤解して、王仁三郎の権威を否定したり、自分自身の権威付けに利用したりする人たちがいた。 | ||
+ | == 概要 == | ||
この歌は王仁三郎が、霊界物語を酷評・中傷する信者や学者、マスコミ等を批判している歌である。大正11年(1922年)10月に発行された初版及び昭和6年(1931年)10月に発行された再版では、歌の最後の部分は次のようになっている。 | この歌は王仁三郎が、霊界物語を酷評・中傷する信者や学者、マスコミ等を批判している歌である。大正11年(1922年)10月に発行された初版及び昭和6年(1931年)10月に発行された再版では、歌の最後の部分は次のようになっている。 | ||
23行目: | 28行目: | ||
昭和34年の[[普及版]]発行後も、大本系の宗教等で「変性女子は偽者」という話が一人歩きをしている。 | 昭和34年の[[普及版]]発行後も、大本系の宗教等で「変性女子は偽者」という話が一人歩きをしている。 | ||
− | たとえば[[岡本三典]](1917~2009年、[[岡本天明]]夫人)は[[至恩郷]] | + | たとえば[[岡本三典]](1917~2009年、[[岡本天明]]夫人)は[[至恩郷]]の機関誌『至恩通信』の中で、第13巻の信天翁(おそらく[[校定版]])を「一人の目明きが気をつける」まで引用し、それ以降を「以下略」とした上で、「これを見ると、出口王仁三郎師は、自らを似而非(にせ)ものだと断じておられる。この歌は以前から知っていたから真人は天明かと思っていたが、今では命波の小田野早秧先生に間違いないと思っている」と記している<ref>『至恩通信』第150号、昭和61年(1986年)9月9日発行、p.6</ref>。 |
また、[[中矢伸一]]は著書の中で、信天翁を引用し、さらに前述の音羽「仕掛けられた~」に書いてある情報を記した上で、「何故王仁三郎は、わざわざ混乱を招くような文を発表し、さらに、後になって意味を引っ繰り返すような修正を加えたのか、真実のところは謎である。おそらく、しかるべき人物にのみ自分がニセモノであることを伝えようとしたのではないか」と推測している<ref>中矢伸一『出口王仁三郎 大本裏神業の真相』平成9年(1997年)2月、KKベストセラーズ、pp.169-171</ref>。 | また、[[中矢伸一]]は著書の中で、信天翁を引用し、さらに前述の音羽「仕掛けられた~」に書いてある情報を記した上で、「何故王仁三郎は、わざわざ混乱を招くような文を発表し、さらに、後になって意味を引っ繰り返すような修正を加えたのか、真実のところは謎である。おそらく、しかるべき人物にのみ自分がニセモノであることを伝えようとしたのではないか」と推測している<ref>中矢伸一『出口王仁三郎 大本裏神業の真相』平成9年(1997年)2月、KKベストセラーズ、pp.169-171</ref>。 | ||
− | + | 中野、岡本、中矢のいずれも、自分が本物だと思う人物(中野本人や、天明・小田野)を主張したいがために、「信天翁」を利用しているのだと考えられる。つまり王仁三郎の権威を利用して王仁三郎自身を「偽者」だと断定し、その「偽者」である王仁三郎の権威を利用して、自分が思う「本物」を権威付けるという、全く矛盾したことになってしまっている。 | |
+ | |||
+ | この王仁三郎ニセモノ説が、信天翁の一節としてではなく、異なる形で紹介されている場合もある。[[武田崇元]]『[[出口王仁三郎の霊界からの警告]]』では、王仁三郎が[[床次正広]]<ref>『出口王仁三郎の霊界からの警告』では「真広」と記されているが誤字。</ref>(第一次大本事件当時の内相だった床次竹二郎の弟)<ref>『新月の光』0049「床次さん」には「実弟の床次正廣氏は大本信者であった」と記されている。</ref>に渡した「遺書」として、信天翁の「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ」以下の一節が紹介されている<ref>1983年に発刊された『[[出口王仁三郎の霊界からの警告]]』201~202頁。2013年に発刊された『新約 出口王仁三郎の霊界からの警告』では削除されている。</ref>。<ref>『[[出口王仁三郎 (長谷邦夫の著書)]]』198~199頁で、おそらく『出口王仁三郎の霊界からの警告』の記述が使用され、王仁三郎ニセモノ説が紹介されている。</ref> | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == |
2024年4月6日 (土) 18:34時点における最新版
変性女子は偽者(へんじょうにょしはにせもの)は、霊界物語第13巻巻末に収録されている「信天翁(三)」と題した歌の一節。王仁三郎が「自分は偽者(偽の救世主)だ」と自白していた歌だと誤解して、王仁三郎の権威を否定したり、自分自身の権威付けに利用したりする人たちがいた。
概要
この歌は王仁三郎が、霊界物語を酷評・中傷する信者や学者、マスコミ等を批判している歌である。大正11年(1922年)10月に発行された初版及び昭和6年(1931年)10月に発行された再版では、歌の最後の部分は次のようになっている。
これを読むと「今の変性女子(王仁三郎のこと。また救世主のこと)は偽者で、美濃(岐阜県南部)か尾張(愛知県西部)から本物の変性女子が出現する」と解釈できる。そのため、王仁三郎は偽者(偽の救世主)だと取り違いした信者たちがいた。
しかし王仁三郎は昭和10年(1935年)3月、第13巻再版をもとに直筆で校正した際に、「アヽ惟神々々」以降を消して、次のように書き換えた。
つまりこの歌は、「『今の変性女子は偽者だ』『美濃か尾張から本物が現れる』と嘘を吹聴する人たちがいるが、真実が判らずに全くお気の毒である」と王仁三郎が嘆いていることになる。
この校正された霊界物語が初めて発行されたのは昭和34年(1959年)11月(普及版)である。校正箇所を知らない人たちによって、自分自身の権威付けなどに利用された。たとえば中野与之助(1887~1974年)は大本を脱退し昭和24年(1949年)に静岡県清水で「三五教」を開教したが、大本信者を勧誘するためこの信天翁を利用したことが、音羽遊「仕掛けられた「アホウドリ」の秘密」[2]に記されている。
霊界物語第十三編[3]の信天翁の宣伝歌を御拝読下さい。「目がさめたら出て来なよ」と歌ってありますが、お気付きに成つたら清水の三五教にお出かけください。
と、王仁三郎亡き後、真の救世主が三五教にあらわれたとばかり、この信天翁を使い大本切り崩しをはかったことがある。昭和二十八年頃のことだ。当時は昭和十年の「王仁校正」部分の公表以前であり、鬼の首を取ったように、この部分を<活用>したのであろう。大本教団もあわてたのか、昭和二十九年正月号の機関誌『愛善苑』で、王仁三郎の校正部分を写真版で公表し、その本心が奈辺にあったかを解説している。昭和34年の普及版発行後も、大本系の宗教等で「変性女子は偽者」という話が一人歩きをしている。
たとえば岡本三典(1917~2009年、岡本天明夫人)は至恩郷の機関誌『至恩通信』の中で、第13巻の信天翁(おそらく校定版)を「一人の目明きが気をつける」まで引用し、それ以降を「以下略」とした上で、「これを見ると、出口王仁三郎師は、自らを似而非(にせ)ものだと断じておられる。この歌は以前から知っていたから真人は天明かと思っていたが、今では命波の小田野早秧先生に間違いないと思っている」と記している[4]。
また、中矢伸一は著書の中で、信天翁を引用し、さらに前述の音羽「仕掛けられた~」に書いてある情報を記した上で、「何故王仁三郎は、わざわざ混乱を招くような文を発表し、さらに、後になって意味を引っ繰り返すような修正を加えたのか、真実のところは謎である。おそらく、しかるべき人物にのみ自分がニセモノであることを伝えようとしたのではないか」と推測している[5]。
中野、岡本、中矢のいずれも、自分が本物だと思う人物(中野本人や、天明・小田野)を主張したいがために、「信天翁」を利用しているのだと考えられる。つまり王仁三郎の権威を利用して王仁三郎自身を「偽者」だと断定し、その「偽者」である王仁三郎の権威を利用して、自分が思う「本物」を権威付けるという、全く矛盾したことになってしまっている。
この王仁三郎ニセモノ説が、信天翁の一節としてではなく、異なる形で紹介されている場合もある。武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告』では、王仁三郎が床次正広[6](第一次大本事件当時の内相だった床次竹二郎の弟)[7]に渡した「遺書」として、信天翁の「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ」以下の一節が紹介されている[8]。[9]
参考文献
- 諸田友雄「変性女子はニセ者か 「信天翁」のとりちがい」、『神の国』昭和30年(1955年)8月号pp.66-68
- 音羽遊「仕掛けられた「アホウドリ」の秘密」、八幡書店版霊界物語の月報3(1989年9月発行)pp.5-6掲載
関連項目
脚注
- ↑ 初版も再版も文章は同じだが、使われている文字が若干異なる。たとえば初版「似非もの」→再版「似而非もの」というような軽微な違いである。
- ↑ 2.0 2.1 参考文献を参照
- ↑ 霊界物語刊行初期は「巻」ではなく「篇(編)」と呼んでいた。
- ↑ 『至恩通信』第150号、昭和61年(1986年)9月9日発行、p.6
- ↑ 中矢伸一『出口王仁三郎 大本裏神業の真相』平成9年(1997年)2月、KKベストセラーズ、pp.169-171
- ↑ 『出口王仁三郎の霊界からの警告』では「真広」と記されているが誤字。
- ↑ 『新月の光』0049「床次さん」には「実弟の床次正廣氏は大本信者であった」と記されている。
- ↑ 1983年に発刊された『出口王仁三郎の霊界からの警告』201~202頁。2013年に発刊された『新約 出口王仁三郎の霊界からの警告』では削除されている。
- ↑ 『出口王仁三郎 (長谷邦夫の著書)』198~199頁で、おそらく『出口王仁三郎の霊界からの警告』の記述が使用され、王仁三郎ニセモノ説が紹介されている。