「松雲閣」の版間の差分
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同年10月18日、王仁三郎は霊界物語の口述を松雲閣で開始する。第1巻から、飛び飛びだが計17巻口述した。 | 同年10月18日、王仁三郎は霊界物語の口述を松雲閣で開始する。第1巻から、飛び飛びだが計17巻口述した。 | ||
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大正14年(1925年)、王仁三郎は松雲閣を買い取るが、昭和21年(1946年)に再び中野が買い戻した。<ref name="a19940210" /> | 大正14年(1925年)、王仁三郎は松雲閣を買い取るが、昭和21年(1946年)に再び中野が買い戻した。<ref name="a19940210" /> | ||
− | 昭和2年(1927年)3月10日、祥雲閣正門入口の霊石「[[竜頭石]]」を[[本宮山]]に安置。本宮山に竜神道を造ることを決定。<ref>『[[大本年表]]』</ref> | + | 昭和2年(1927年)3月10日、祥雲閣正門入口の霊石「[[竜頭石]]」を[[本宮山]]に安置。本宮山に竜神道を造ることを決定。<ref>『[[大本年表]]』</ref> →「[[本宮山#竜神の道]]」 |
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+ | 昭和12年(1937年)から賃貸しして料理旅館「現長」が開業したが、昭和23年に現長の経営者が購入。平成6年(1994年)に全面改築することになり、建物は[[大本信徒連合会]]に譲られ、綾部市上野町の[[愛善荘]]の裏手に移築された<ref name="a19940210" />。しかし老朽化のため新しい部材を多く用いて復元された。 | ||
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+ | 松雲閣は後に祥雲閣と改名されたが、その時期は判然としない。 | ||
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2023年11月28日 (火) 04:50時点における最新版
松雲閣(しょううんかく)(後に祥雲閣と改名)は、綾部市並松町にあった大本の建物。本宮山の麓、由良川の川沿いにあり、霊界物語の最初の口述場所として使われた。現在その跡地には料理旅館「現長(げんちょう)」がある。
概要
この建物は大正10年(1921年)に、東京に住む信者の中野岩太[1]が別荘として建てた。[2]
同年10月18日、王仁三郎は霊界物語の口述を松雲閣で開始する。第1巻から、飛び飛びだが計17巻口述した。
大正11年(1922年)3月、松雲閣で王仁三郎は蓄音器で祝詞等を吹き込む。→「出口王仁三郎の肉声レコード」
大正14年(1925年)、王仁三郎は松雲閣を買い取るが、昭和21年(1946年)に再び中野が買い戻した。[2]
昭和2年(1927年)3月10日、祥雲閣正門入口の霊石「竜頭石」を本宮山に安置。本宮山に竜神道を造ることを決定。[3] →「本宮山#竜神の道」
昭和12年(1937年)から賃貸しして料理旅館「現長」が開業したが、昭和23年に現長の経営者が購入。平成6年(1994年)に全面改築することになり、建物は大本信徒連合会に譲られ、綾部市上野町の愛善荘の裏手に移築された[2]。しかし老朽化のため新しい部材を多く用いて復元された。
名称
松雲閣は後に祥雲閣と改名されたが、その時期は判然としない。
霊界物語では大正12年(1923年)7月15日口述の第65巻から「祥雲閣」が使われている[4]。
機関誌『真如の光』などによると、昭和9年5月に神生館という宿舎を松雲閣に移し[5]、昭和10年6月にそれを「祥雲閣」に改称した[6]。[7]
関連資料
- 「霊界物語ご口述開始記念日に今年も綾部「松雲閣」で現地研修会を開催」『いづとみづ』平成元年(1989年)12月号、15~17頁
外部リンク
- 純和風料理旅館 現長(公式サイト)
脚注
- ↑ 中野岩太は宝生流の中野茗水の本名。父は東京商工会議所会頭を務めた中野武営。岩太の四男・貞四郎は出口尚江(王仁三郎の四女)と結婚し、三千麿と命名された。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『あやべ市民新聞』平成6年(1994年)2月10日「ふるさと探訪9 王仁三郎聖師が使った松雲閣」
- ↑ 『大本年表』
- ↑ 第65巻序文#:「濁流汎濫せる小雲川の西岸祥雲閣に於いて久し振りにて」
- ↑ 『真如の光』昭和9年(1934年)6月25日号p18に次の記事あり。「綾部総本部受付の隣にあつた宿舎神生館《しんせいくわん》は十四日から和知川のほとり並松《なみまつ》なる松雲閣に移転しました」。
- ↑ 『真如の光』昭和10年(1935年)4月17日・25日合併号p37に「神生館の改称」と題して「綾部並松の修行者宿舎神生館は今度『祥雲閣』と改名になりましたから」と告示が出ている。
- ↑ 『大本年表』や『大本七十年史 下巻』「神苑の造営と祭事#」にも記事あり。