「聖師」の版間の差分
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2021年5月5日 (水) 06:38時点における版
聖師(せいし)とは、
(1) 出口王仁三郎に対する尊称。それまでは「大先生」と呼ばれていたが、大正14年(1925年)6月の終わり頃から「聖師様」と呼ばれるようになった。
(2) 霊界物語第64巻上下で、次の4人が「聖師」と呼ばれている。[1]
- アメリカン・コロニーの執事・スバッフォード …初出:第64巻上第1章「橄欖山」#
- ルートバハーの宣伝使・ブラバーサ …初出:第64巻上第3章「聖地夜」#
- バハイ教の宣伝使・バハーウラー …初出:第64巻上第18章「新聞種」#
- ルートバハーの教主・ウズンバラ・チャンダー …初出:第64巻下第1章「復活祭」#
大国美都雄『真偽二道』によると、大正14年(1925年)6月、加藤明子ら側近たちの発案により、王仁三郎を「聖師様」と呼ぶことになった。
大正十四年六月の終り、大先生の側に奉仕していた加藤さんやその他の人々の四方山の話が発展し、大先生 大先生というのはおかしいではないか、武道の方でも大先生という呼称があるし、宗教者の大先生というのはふさわしくない。なんとかよい呼称はないだろうかという話になり、あれこれを詮索の末、霊界物語に聖師という言葉があるから[2]、聖師というのはどうだろうかということになった。そこで翌日、そのことを大先生にもち出し、それから皆で聖師と呼ぶことにした。
ところが数日たって、聖師 聖師と呼ぶのでは何か呼び捨てにしたような物足りない気がする、と加藤さんがいいだして、皆も同調し、それならどうするかと議論が行われて、聖師様と様をつけるということになった。以都雄は「敬語の上にまた敬語をつけるのか」といって議論していると、大先生がひょっこりとそこへ来られて、「聖師でええ」と自らもおっしゃった。だが、加藤さん達は、「それでは治まりがつかない」といっていつの間にか聖師様ということになった。
- 大本年表の大正14年6月30日の項に「聖師を瑞霊真如聖師と称える」と記されている。
- 『大本七十年史』には次のように記されている。「六月三〇日には、大本および大本瑞祥会の第二次規約改正をおこなった。それによって、これまで教主輔ならびに大本総裁であった出口王仁三郎は、たんなる一教団大本の王仁三郎でなく、神命により「瑞霊真如聖師」として自由に世界的に活動することとなり、これ以後王仁三郎を「聖師」とよぶことになった」。[3]