「白瀬川 (ナイル河)」の版間の差分
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+ | 大正12年(1923年)8月から9月にかけて王仁三郎は熊本を中心に九州を巡教し、阿蘇の杖立温泉に8月12日から30日まで滞在した<ref>8月7日に綾部を出発。熊本市から阿蘇、小国を経由して杖立温泉に向かった。9月7日に帰綾。</ref>。随行した河津雄が書いた随行記の8月11日の項に、次の記述がある。 | ||
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+ | 此流域は筑紫島の中央に当り、肥の国より豊の国に至るので、恰もアフリカのナイル河に相当せねばならぬのである。霊界物語に現はれたるナイル河はアフリカ第一の河であるが、我が筑後河も亦九州第一の大川である。ナイルの上流を白瀬川といひ、筑後川の上流を志賀瀬川といふ。氏(注・瑞月氏=王仁三郎)が「あの瀧(注・切通瀧(きりどうしだき)のこと)はナイルの型が出てゐるのや」と言はれ。第七篇(注・第七巻)に現はれたる純世姫命の霊場<ref name="sumiyohime" />は宮の原の宮山(注・小国両神社が鎮座する高台のこと<ref>同誌p34に小国両神社(小国町宮原1670に鎮座)を参拝したことが記されている。</ref>)のやうに思ふと漏らされた。「わしは宮さんのやうに思はなんだ、まるで家(うち)には入(い)ったやうに思ふた」と言はれた。純世姫命が筑紫島の国魂神である事は霊界物語の読者には、既に承知さるる処である。|『神の国』大正12年(1923年)9月25日号掲載、河津雄「西遊随行記〔二〕」p36<ref>愛善苑事務局・編集『出口王仁三郎聖師と九州小国杖立温泉・山鹿の不動岩』いづとみづ刊、p28 に転載されている。</ref> }} | ||
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2019年3月17日 (日) 16:18時点における版
この項目では、綾部の白瀬川について説明しています。その他の用法については「白瀬川 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
白瀬川(しらせがわ)は、霊界物語に登場する川。筑紫の島の豊の国にある。「ナイル河」とも呼ばれる。
概要
白瀬川の六つの滝
白瀬川には6つの大きな滝がある。[1]
このうち舞台として登場するのは秋月の滝だけで、橘~国光の4つの滝は第12巻第13章「秋月滝」#に名前が1回出るだけである。
6つ全てが月雪花の宣伝使と三光の宣伝使の名前になっているが、彼らと特に由縁があるわけではない。またこのエピソードに三光の宣伝使は登場するが、月雪花の宣伝使は登場しない。
「白瀬川の六つの滝」という言葉そのものは、第12巻第6章「招待」#に1回出るだけである。
水源地
白瀬川(ナイル河)の水源地は「スッポンの湖」である。
ただし次のように、シナイ山から流れているという記述がある。あるいは秋月滝だけがシナイ山から流れ落ちているという意味か?
- 第12巻第10章「深夜の琴」#:「シナイ山より落ちかかる 秋月滝に身を打たれ」
- 第12巻第14章「大蛇ケ原」#:「ここはシナイ山の麓の秋月の滝の二三町下手だよ」
- 第12巻第15章「宣直し」#:「祝姫は一行五人と共に白瀬川の魔神を言向和すべく、館を後に六人連れ宣伝歌を歌ひ乍ら、朧月夜の如き春の日をシナイ山の山麓指して進み行く」
主なエピソード
現実の白瀬川
白瀬川は九州の志賀瀬川(しがせがわ)に相応する。筑後川の上流にある川で、阿蘇市北部から北へ流れ、小国町中心部で田の原川(筑後川の本流)に合流する。
大正12年(1923年)8月から9月にかけて王仁三郎は熊本を中心に九州を巡教し、阿蘇の杖立温泉に8月12日から30日まで滞在した[2]。随行した河津雄が書いた随行記の8月11日の項に、次の記述がある。
此流域は筑紫島の中央に当り、肥の国より豊の国に至るので、恰もアフリカのナイル河に相当せねばならぬのである。霊界物語に現はれたるナイル河はアフリカ第一の河であるが、我が筑後河も亦九州第一の大川である。ナイルの上流を白瀬川といひ、筑後川の上流を志賀瀬川といふ。氏(注・瑞月氏=王仁三郎)が「あの瀧(注・切通瀧(きりどうしだき)のこと)はナイルの型が出てゐるのや」と言はれ。第七篇(注・第七巻)に現はれたる純世姫命の霊場[3]は宮の原の宮山(注・小国両神社が鎮座する高台のこと[4])のやうに思ふと漏らされた。「わしは宮さんのやうに思はなんだ、まるで家(うち)には入(い)ったやうに思ふた」と言はれた。純世姫命が筑紫島の国魂神である事は霊界物語の読者には、既に承知さるる処である。
出典:『神の国』大正12年(1923年)9月25日号掲載、河津雄「西遊随行記〔二〕」p36[5]