「出口日出麿」の版間の差分
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2019年3月17日 (日) 11:21時点における版
出口日出麿(でぐち ひでまる、ひでまろ)(1897 - 1991)は大本三代教主補。
三代教主・出口直日の夫。 旧名・高見元男。「日出麿」は大本名。道名(道院での名前)は「運霊」。
- 明治30年(1897年)12月28日(旧12月5日)、岡山県倉敷市で生まれる。
- 呉服商の仁科清吉・ひでの夫妻の二男。しかし出生と共に高見和平次の養子となる。
- 岡山の第六高等学校在学中に綾部の大本で修行に参加。
- 京都帝大に進学後も大本で編集・出版関係の仕事に奉仕する。
- 昭和3年(1928年)2月1日(旧1月10日)、出口直日と結婚。この日、王仁三郎により「日出麿」と命名される。
- 同年2月6日、教主補、
- 昭和5年(1930年)4月4日、大本総統補。
- 昭和10年(1935年)10月2日、大本統理。
- 同年12月8日、第二次大本事件で検挙される。
- 取調中の拷問により精神に異常をきたし、昭和14年(1939年)2月6日、公判手続停止、責付出所する。
- 昭和20年(1945年)11月20日、免訴の判決が出る。
- 昭和27年(1952年)4月1日、出口直日の教主就任と同時に教主補に就任。
- 平成2年(1990年)10月1日、教団から「尊師」の称号を贈られる。
- 平成3年(1991年)12月25日(旧11月20日)、帰幽する。
参考文献
- 出口斎『神仙の人 出口日出麿』、講談社、1989年