昭和坤生会
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昭和坤生会(しょうわこんせいかい)は、大本の関連組織。昭和7年に昭和青年会から分離して結成された。第二次大本事件によって解散処分となった大本八団体の一つ。略称「昭坤」。
概要
昭和7年(1932年)11月1日、信者の女性を結集する組織体として昭和坤生会が、昭和青年会から分離して結成された。総裁・出口王仁三郎、会長・出口澄子、会長補・出口直日。綾部に総本部、亀岡に本部、各地に支部が置かれ、15歳以上の女子が会員となった。[1]
〈従来、本部および各地区の分所・支部には信者の婦人が青年会に属してそれぞれのグループをつくっていた。しかし時局が急転し、大本の諸活動が活発になるにしたがって、婦人活動の分野も拡大してきた。また統一のある組織的活動が要請されてきたもので、信者の女性を結集する組織体として昭和坤生会がつくられたのである。〉[1] [2]
会の目的は〈地上に真の平和と幸福を齎すため、愛善の大精神に基きて最善の誠を尽し歓喜に充てる明るき世界の実現を図る〉こと〔規約第2条[3]〕。
坤生会という名称の由来は、坤(ひつじさる)には火と土と水という意味があり、昭和青年会は艮(うしとら)であって表を守ることになるのに対し、昭和坤生会は坤(ひつじさる)即ち内を守る御用を意味する。[1]
会旗は青地の中に梅と松を組み合わせた紋様で、長旗式に作られている。[1]
会服は昭和青年会と同様の国防色で、開襟にネクタイ、ズボンに脚絆を付け、制帽も決められた。[1]
会歌〈奮ひ立て雄々しくやさしく日の本の女の活くべき時は今なり〉[4]
発足翌月の12月5日〈昭和坤生会の主唱のもとに「むすびの日」が設けられた。この「むすびの日」には、昭和青年会・人類愛善会・大本瑞祥会も同調した。その主旨は「当日は菜肴の食膳を廃し、握り飯に塩を以て食事を済ませ一切の副食物は摂らず。これによって生れる節約費を国防費として献納する」というものである。本部ではこの主旨にもとづいて、一二月五日から毎週月曜日の昼食を「にぎりめし」とし、当日は事務・作業の休憩時間も全廃した。さらに年末年始における慣例の無駄をはぶき、真に生活更生の実践をあげるよう全国支部に通達した。〉[1]
略史
【昭和7年(1932年)】
- 11月1日:昭和坤生会発会。
- 11月28日:昭和坤生会の団体訓練が始まる。
- 12月5日:昭和坤生会が主唱して「むすびの日」が設けられる。
- 12月24日:昭和坤生会の会服が制定される。
(以降、昭和青年会とほぼ一緒に活動しているため、略史は昭和青年会と同じである)