コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
王仁DBで検索
Googleで検索
カテゴリから探す
最近作られたページ
最近の更新
おまかせ表示
編集者用
著作権について
Onipedia
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
メンテナンスのため3/31まで表示が不調になる場合があります
皆神山のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
皆神山
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、次のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[ファイル:皆神山1.jpg|thumb|松代PAから見た皆神山。中央に山容全体が見える山が皆神山。一番手前右から中央にかけて見えるのは母袋山の尾根。一番奥に見える山脈は菅平高原。平成24年(2012年)10月撮影。]] '''皆神山'''(みなかみやま)は、長野市松代にある山。[[霊界物語]]においては[[地教山]]<ref>ただし[[ヒマラヤ山]]も地教山と呼ばれる。</ref>と呼ばれる重要な山。 == 一般的情報 == * 標高659m(山麓の標高は北西部370m前後、東部440m前後なので高低差は200~300m)。山全体が溶岩で出来ておりドーム状をしている。 * 太古に作られたピラミッドだという説がある。また第二次大戦末期に大本営を作るため地下壕が多数掘られた。 * 山頂には出速雄命を祭る[[皆神神社]](熊野出速雄神社)がある。 * 皆神神社境内の説明書によると(写真参照)、皆神山のかつての呼び名は「群神山」あるいは「水上山」で、慶長年間(1596~1615年)から「皆神山」と呼ばれるようになった。 == 王仁三郎関係 == * 皆神山は世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。<ref>{{kgm|381|信濃国皆神山}}:「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である」</ref> * 王仁三郎が明治31年の[[高熊山修行]]の際、一番最初に連れて行かれたのが[[富士山]](天教山)と皆神山(地教山)であった。<ref>{{kgm|381|信濃国皆神山}}:「私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになつて、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである」、{{kgm|337|模型を歩む}}</ref> * 王仁三郎は昭和4年(1929年)6月3日、皆神山に登山して[[言霊]]を奏上している。<ref>{{kgm|307|言霊奏上について}}:「大正八年以来、度々言霊奏上と云ふ事を皆でやつたことがあるが、あれは練習であつて、此度皆神山で奏上したのが、真の生言霊の発射であつた」</ref> * 皆神山は[[素盞嗚尊]]が初めて素焼きを作られた場所であり、これが陶器の作り始まりである。<ref>{{kgm|328|二代祖神}}:「歌は「出雲八重垣」に始まり、陶器は皆神山の八甕(やつがめ)に初まつたのは人皆の知つて居る通りである」、{{kgm|525|八十平甕}}:「俗にカワラケ又はオヒラと云ふ八十平甕(やそひらか)は、素盞嗚尊様が信州の皆神山の土によつて創製されたものである」</ref> * 皆神山には[[天照大神]]の墓があるらしい。しかし具体的にどこにあるのかは不明。<ref>新月の光0632「大石凝先生との初対面」:「皆神山には天照大神の御墓もあり、戸隠山も何もあって、古事記とは違っている」</ref> * 第二次大戦末期の大本営移転(首都移転)は、王仁三郎の[[経綸]]によるもの。<ref>新月の光0525「御避難所」:「陛下の御避難所は信州皆神山に用意出来ている。道路も立派に出来ているのである。王仁が経綸に行った」、新月の光0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の皆神山へ行ったのである。そうして先生は皆神山に陛下がおいでになると言われたので、王仁は神様に綾部と聞いていると言ったら、一番は皆神山だと言われた」</ref> * 皆神山は数十万年前の噴火によって出来た噴火口の跡にある。噴火口に出来た湖水の上に浮き出ていたので「水上山」と呼ばれるようになった。<ref>{{kgm|413|噴火口と蓮華台}}:「本宮山、亀岡、皆神山は共に噴火口の跡にあるので蓮華台をなして居るのである。(略)水の上に浮き出て居つたから、水上山の名称が起つたのである。」</ref> * 霊界物語には「皆神山」という言葉は出て来ない。 * 昭和31年(1956年)9月、[[皆神神社]]境内に大本関係者によって木花咲耶姫神社(富士浅間神社)が建立された。 * 昭和46年(1971年)春、皆神神社境内に王仁三郎の歌碑が建立された。「地質学上世界の中心山脈の十字形せる珍の神山」「天霊の聖地に些しも違はざる尊き神山皆神の山」の二首が刻まれている。 * 平成16年(2004年)9月26日、皆神神社境内に三代教主・[[出口直日]]の歌碑が建立された。「みすゝかるしなのゝくにの神山にともらつとひて世をいのらなむ」この歌は昭和29年(1954年)9月26日に皆神山山頂で執行された平和祈願祭に際して詠んだ歌である。 == ギャラリー == 写真は全て平成24年(2012年)10月に撮影。 <gallery mode="packed"> ファイル:皆神山の王仁三郎の歌碑1.jpg|皆神神社境内にある出口王仁三郎の歌碑。昭和46年(1971年)春建立。 ファイル:皆神山の王仁三郎の歌碑2.jpg|王仁三郎の歌碑の裏面。 ファイル:皆神山の出口直日の歌碑1.jpg|皆神神社境内にある出口直日の歌碑。平成16年(2004年)9月26日建立。 ファイル:皆神山の出口直日の歌碑2.jpg|出口直日の歌碑の裏面。 ファイル:皆神山の浅間神社1.jpg|皆神神社境内にある富士浅間神社。 ファイル:皆神山の浅間神社2.jpg|富士浅間神社。 ファイル:皆神山の浅間神社3.jpg|富士浅間神社。十曜紋が刻まれている。 ファイル:皆神山の熊野出速雄神社1.jpg|皆神神社境内の熊野出速雄神社。 ファイル:皆神山の熊野出速雄神社2.jpg|熊野出速雄神社。 ファイル:皆神神社1.jpg|皆神神社の鳥居。 ファイル:皆神神社2.jpg|山門。 ファイル:皆神神社3.jpg|社号標。 ファイル:皆神神社4.jpg|本殿。 ファイル:皆神山の境内の説明書1.jpg|皆神山の説明。 ファイル:皆神山の境内の説明書2.jpg|皆神神社の初穂神事の説明。 ファイル:皆神山の境内の説明書3.jpg|皆神山ピラミッド説の説明。 ファイル:皆神山の境内の説明書4.jpg|皆神山ピラミッド説の説明。 ファイル:皆神山の境内の説明書5.jpg|皆神神社の説明。 </gallery> == 脚注 == <references/> == 関連項目 == * [[地教山]] * [[ヒマラヤ山]] * [[水上山]] …紫微天界にある山 == 外部リンク == * <wp>皆神山</wp> * [http://www.minakami-jinja.jp/ 皆神神社] [[Category:山|みなかみやま]]
このページで参照読み込みされているページ:
テンプレート:Inyou
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Kgm
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Obc
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Obc000
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Wp
(
ソースを閲覧
)
皆神山
に戻る。
検索
検索
皆神山のソースを表示
話題を追加