「神霊界 (機関誌)」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''神霊界'''(しんれいかい)とは、
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{{Otheruses|大正時代の大本の機関誌|その他の用法|神霊界 (曖昧さ回避)}}
  
(1) 神霊の世界。「[[神界]]」(天界)の意味で使われる場合もあれば、「[[霊界]]」の意味で使われる場合もある。
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'''神霊界'''(しんれいかい)は、[[大本]]が大正時代に発行していた機関誌。
  
【用例】
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復刻版が昭和61年(1986年)に[[八幡書店]]から刊行された。全9巻。 →「[[神霊界 (八幡書店復刻版)]]」
* 「天国浄土に参上り 神霊界の消息を」<ref>{{rm|42|25|惜別歌}}</ref> …神界の意味
 
* 「神霊界には正神界と邪神界との二大区別がある」<ref>{{rm09|45|0002|総説}}</ref> …神界の意味
 
* 「現界の人間が人生第一の関門なる死といふ手続を了つて、神霊界に突入するに際しては」<ref>{{rm09|23|9901|霊の礎(八)}}</ref> …霊界の意味
 
* 「露の命を失ひつ 神霊界の八衢に 彷徨ひ進む折もあれ」<ref>{{rm|57|18|翼琴}}</ref> …霊界の意味
 
 
 
(2) 大正時代に大本が発行していた機関誌。
 
 
 
本項では(2)について解説する。
 
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== 概要 ==
 
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大正10年(1921年)6月号(第138号)で廃刊。翌7月より新たに『[[神の国]]』が創刊された。
 
大正10年(1921年)6月号(第138号)で廃刊。翌7月より新たに『[[神の国]]』が創刊された。
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〔参考文献:『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2141|創刊の辞と檄}}」〕
  
 
== 記事 ==
 
== 記事 ==
* 「大本神諭」が大正6年(1917年)2月号から掲載された。
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* 「[[大本神諭]]」が大正6年(1917年)2月号から掲載された。
  
== 資料 ==
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== 外部リンク ==
* 復刻版が[[八幡書店]]から昭和61年(1986年)に出版された。全9巻。 →「[[神霊界 (八幡書店復刻版)]]」
 
 
* [https://onidb.info/mview.php?title=srk&hani=T6A 神霊界総目次] - 王仁DB
 
* [https://onidb.info/mview.php?title=srk&hani=T6A 神霊界総目次] - 王仁DB
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=M1929 神霊界] - 霊界物語ネット
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* {{obc|M1929|神霊界}} - 霊界物語ネット
 
 
== 参考文献 ==
 
* 『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2141|創刊の辞と檄}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
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[[Category:霊界]]
 
 
[[Category:機関紙誌]]
 
[[Category:機関紙誌]]

2022年8月5日 (金) 18:58時点における最新版

この項目では、大正時代の大本の機関誌について説明しています。その他の用法については「神霊界 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

神霊界(しんれいかい)は、大本が大正時代に発行していた機関誌。

復刻版が昭和61年(1986年)に八幡書店から刊行された。全9巻。 →「神霊界 (八幡書店復刻版)

概要

浅野和三郎の大本入りを機に、大正6年(1917年)1月、機関誌『敷島新報』が『神霊界』と改題し、浅野和三郎が主筆兼編集長となった。

号数を継承しているため、第43号(大正6年1月号)からの発刊である。

サイズはB5判で、最初は月刊だったが、大正7年から月2回、8年からは旬刊(月3回)となった。

発行所は「大日本修斎会」。発行兼編輯印刷人は、最初は出口王仁三郎、大正7年1月号から吉田祐定、10年4月号から近藤貞二。(吉田は第一次大本事件勃発当時の発行人だったため、王仁三郎・浅野和三郎と共に検挙、起訴された)

大正10年(1921年)6月号(第138号)で廃刊。翌7月より新たに『神の国』が創刊された。

〔参考文献:『大本七十年史 上巻』「創刊の辞と檄#」〕

記事

  • 大本神諭」が大正6年(1917年)2月号から掲載された。

外部リンク