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耀盌
,→後期の歴史
== 後期の歴史 ==
[[第二次大本事件]]で投獄された王仁三郎は、獄中にいる時から、楽焼茶碗で天国の姿を表現したいという意欲を持っていた。出獄後もその意欲はあったが、戦時統制下で材料が入手できず、実行できなかった。京都清水の窯元・[[佐々木松楽]]が亀岡の下矢田に転居したことを知った王仁三郎は、昭和19年(1944年)12月28日の夜、松楽宅を訪ね、土をひねり、下焼きがなされた。年が明けて昭和20年元旦に、その茶碗に染筆、1月3日に釉薬を塗り、約60個の楽焼茶碗が完成した。これが後期作陶の始まりである。以後、王仁三郎の茶碗作りの作業はほぼ連日続けられた。(しょうらく)が亀岡の下矢田に転居したことを知った王仁三郎は、昭和19年(1944年)12月28日の夜、松楽宅を訪ね、土をひねり、下焼きがなされた。年が明けて昭和20年元旦に、その茶碗に染筆、1月3日に釉薬を塗り、約60個の楽焼茶碗が完成した。これが後期作陶の始まりである。以後、王仁三郎の茶碗作りの作業はほぼ連日続けられた。<ref name="B195402c653">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c653|3 新生への準備}}」</ref> <ref>『耀琓』p262上段</ref>
王仁三郎一人で作陶したわけではなく、佐々木松楽(土練りと窯焚きを行った)、[[内海健郎]]、[[山川日出子]]の3人が終始手伝った。<ref name="B195402c653" />