飯田兼治郎(いいだ かねじろう、1895~1949年[1])は、綾部出身の歌人。出口王仁三郎の歌集『花明山』の跋文を書いている。

概要

  • 名前の「兼治郎」を「けんじろう」と読ませている文献もある。
  • 「治」が「次」になった「飯田兼次郎」と表記している文献もある(『花明山』『大本七十年史』など)。そちらが本名なのかペンネームなのか、あるいは誤記なのかは不明。
  • ペンネームに「飯田翠(いいだ みどり)」がある。
  • 作品に歌集『女体は光る』(昭和5年)、「飯田翠」名で書いた小説(大本を舞台にした小説)『神を射るもの』(昭和2年、発禁)などがある。
  • 綾部生まれ。城丹蚕業講習所製糸部に入り、後に上田蚕糸専門学校専科に入る。大正5年(1916年)前田夕暮を知り、『詩歌』(明治44年に前田が創刊した短歌雑誌)に参加。〔下記コトバンク(20世紀日本人名事典)による〕
  • 丹波毎日新聞』社長。

外部リンク

脚注

  1. 生年、没年はWeb NDL Authoritiesによる。