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ミロク岩
,→関東大震災
大正12年(1923年)8月7日、王仁三郎は綾部を出発して熊本県の[[杖立温泉]]に向かった。8月30日まで滞在し、続いて熊本市内で2泊し、9月1日は山鹿町(現・山鹿市)に泊まり、翌9月2日は三玉村の観音堂と不動岩に参拝した。ちょうどそのとき、関東大震災(9月1日正午に発生)の新聞号外が届けられ、震災が起きたことを知った。<ref name="B195401c4224">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4224|新機運の動向}}」</ref>
9月1日の正午頃、王仁三郎一行は山鹿町に入り、町が経営する温泉の附属旅館「松風館」に到着したので、近隣の支部が集まり歓迎した。王仁三郎の話を聞くために集まったが、[[宇知麿]]に霊界物語{{rm|31|2|大地震}}と{{rms|31|3|救世神}}を読めと命じて、自分は休んでしまった。夜、宇知麿はその箇所を拝読したが、翌日の号外で関東大震災が起きたことを知り、信者一同、王仁三郎の先見の明に感嘆した。([[ヒルの都]]で大地震が発生する章)を読めと命じて、自分は休んでしまった。夜、宇知麿はその箇所を拝読したが、翌日の号外で関東大震災が起きたことを知り、信者一同、王仁三郎の先見の明に感嘆した。[[木庭次守]]は、王仁三郎がこのとき休んだのは「霊的大活動のため」だと解している。<ref>『新月の光』0070「関東大震災と霊界物語」</ref> <ref>河津雄「西遊随行記〔四〕」p39</ref>
それまで各新聞は王仁三郎を「王仁」とか「王仁三郎」と呼びつけにし、茶化した記事を載せていたが、関東大震災が起きると筆調が変わり、「大本の予言適中」とか「この惨状に符合して宣伝を始めた」などと報道するようになり、呼び方も「王仁三郎氏」に変わった。<ref name="B195401c4224" />