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大安石と小安石
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大安石は現在の倍ほどの大きさだったが、第二次大本事件の際に当局によって半分に割られてしまった。現在安置されている大安石の下に、割られた破片の一部が置かれている。小安石も、石の表面の一部が削られてしまった。<ref>『[[みろくのよ]]』平成27年(2015年)7月号「大本いろは43 大安石と小安石」p62-63</ref> <ref>『新月の光』1251「赤子岩と平安石と天拝石」によると昭和21年に王仁三郎は、第二次大本事件で無傷だったのは赤子石(小安石)と天拝石(月宮宝座の上に安置された石)のみであると語っている。</ref>
第二次大戦後、天恩郷が再建された時、王仁三郎の指示で小安石は[[瑞祥館]]の入口付近([[平安観音]]の前)に置かれたが、後に三代教主の指示により元の位置(現在安置されている場所)に移された。の前)に置かれたが、後に[[三代教主]]の指示により元の位置(現在安置されている場所)に移された。<ref>『[[新月の光]]』1251「赤子岩と平安石と天拝石」、同1240「瑞祥館入口の石垣」</ref>
== 略年表 ==