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月宮殿

1,431 バイト除去, 2018年11月11日 (日) 12:27
月宮宝座
第二次大戦後は月宮殿跡に「[[月宮宝座]]」が築造された。神殿はなく、高さ8尺(2.4m)、直径10間(18m)の宝座だけである。
王仁三郎昇天後の昭和23年(1948年)8月15日、月宮山・月宮宝座の築造計画が発表され、翌16日には早速、月宮宝座起工式が行われた。王仁三郎昇天後の昭和23年(1948年)8月に起工され、翌24年12月に完成した。
これは「綾部は日の大神様の聖壇で、亀岡は月の大神様の聖地であるから、月に型どった円形の聖壇を設ける」との王仁三郎の意志に沿って築造されたものである。 11月から作業が開始され、二次事件で破壊された道路や石垣積みなどの作業も進められ、翌24年6月6日には月宮宝座の巨石積みが終了した。この巨石は、二次事件によって破壊された国魂宝座の国魂石が使われた。頂上にある大きな「天拝石」には→詳細は「[[伊都能売観音像月宮宝座]]の手前下(現在の[[大安石]]の左)に安置されていた扁平な巨石(重さ約7.5t)が使われた。 月宮宝座の完成について[[出口澄子]]・二代苑主(当時は「愛善苑」)は、「撞の神瑞霊真如瑞みたま守りますなり昇り降りて」「闇の世も何時まで続くものならず月いでませよ月宮宝座に」と詠んでいる。 月宮宝座は[[天恩郷]]の至聖所であり、平成4年(1992年)12月8日以降は禁足地<ref>『[[まつのよ]]』第6号付録「大本年表」 ちなみに本宮山はこの年の2月3日から禁足地となった。</ref>となった。 〔この項は特記ある場合を除き『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c7422|造営と祭事}}」P841~842をもとに作成した〕」を見よ
== 月宮殿(月宮宝座)新旧比較地図 ==

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