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出口和明
,→十和田湖の竜神
「数万年湖底に潜みし神霊のまさに世に出る時は来にけり\湖の主も生言霊に解脱して弥勒の神代に仕え奉らん\吾待ちし神の歓び祝せんと天地一度に轟き渡れり\人の子と生まれ出でたるひと粒の種に花咲く時は近めり\凡人の眼には見えねど神の代の経綸は探し十和田の湖\その昔変性男子の男装坊変性女子を待てる十和田湖\湖の主も今日を境に天かけり弥勒の柱とやがて生れなん\時ならぬ雷鳴轟き地は震りて龍神天に昇る今日かな」『東北日記』六巻<br>
その二年後の昭和五年八月一五日私が生まれた。王仁三郎は筆をとって、『月鏡』に十和田湖の龍神伝説を書きおろし、「十和田湖の伝説は各方面に点在してすこぶる範囲は広いが、自分はすべての伝説にかかわらないで神界の秘庫を開いて、ここに忌憚なく発表する」と述べる。
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<div class="onipe_quote">
{{kgm|461|十和田湖の神秘}}<br>
かくて男装坊は三熊野三神別けて神素盞嗚尊の神示によりて弥勒の出現を待ちつつありしが、天運茲に循環して昭和三年の秋、四山の紅葉今や錦を織らむとする頃神素盞嗚尊の神示によりて爰に瑞の魂十和田湖畔に来り、弥勒出現の神示を宣りしより男装坊は欣喜雀躍、風雨雷鳴地震を一度に起して徴証を示しつつその英霊は天に昇りたり。それより再び現界人の腹を藉りて生れ男性となりて弥勒神政の神業に奉仕することとはなりぬ。<br>
吁神界の経綸の深遠にして宏大なる到底人心小智の窺知し得る限りにあらず。畏しとも畏き次第にこそ。<br>
惟神霊幸倍坐世。<br>
附言、男装坊現世に再生し、弥勒の神業を継承して常磐に堅磐に神代を樹立するの経綸や出生の経緯に就いてはこと神秘に属し、未だ発表を許されざるものあるを遺憾とするものであります。
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<div class="onipe_quote">
({{kgm|636|男装坊の再生}})<br>
月鏡、十和田湖の神秘を読んだものは誰も知つてゐる如く、湖の主が昇天の時、王仁に約束した言葉がある。「再生の時は大本に生れて参ります」と。……元来は王仁の子となつて生れる筈であつたが、それが出来なかつたので、八重野が生まして貰つた和明がそれである。十和田の竜神の再生であるから、十和田の和をとり明は日と月で神を表はす積りで斯く命名したのである。王仁をばかり慕つて、父親はそつちのけで聖師様聖師様とつけ纏ふ。霊の因縁は不思議なものである。<br> 編者申す、「月鏡十和田湖の神秘」{{kgm|461|}}には、左の通り示されてあります。<br> 前略、かくて男装坊は三熊野三神、別けて神素盞嗚尊の神示によつて弥勒の出現を待ちつつありしが、天運茲に循環して昭和三年の秋、四山の紅葉今や錦を織らむとする頃、神素盞嗚尊の神示によりて爰に瑞の魂十和田湖畔に来り、弥勒出現の神示を宣りしより男装坊は欣喜雀躍、風雨雷鳴地震を一度に起して徴證を示しつつ、その英霊は天に昇りたり。それより再び現界人の腹を藉りて生れ、男性となりて弥勒神政の神業に奉仕する事とはなりぬ。嗚呼神界経綸の深遠にして宏大なる到底人心小智の窺知し得る限りにあらず、畏しとも畏き次第にこそ。<br>惟神霊魂幸倍坐世。
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== 脚注 ==