差分

Jump to navigation Jump to search

弥勒神像

3,226 バイト追加, 2018年9月15日 (土) 07:38
ページの作成:「'''弥勒神像'''(みろくしんぞう)は、熊本県山鹿(やまが)市の瑞霊苑にある、王仁三郎と等身大の観音像のこと。...」
'''弥勒神像'''(みろくしんぞう)は、熊本県[[山鹿]](やまが)市の[[瑞霊苑]]にある、[[王仁三郎]]と等身大の観音像のこと。

== 概要 ==
大正12年(1923年)8月7日、王仁三郎は綾部を出発して熊本県の[[杖立温泉]]に向かった。8月30日まで滞在し、続いて熊本市内で2泊し、9月1日は熊本県鹿本郡山鹿町(現・山鹿市)に泊まり、翌9月2日は鹿本郡山鹿町三玉村大字蒲生(現・[[山鹿]]市蒲生)の観音堂と不動岩(後に「[[ミロク岩]]」と命名)に参拝した。

観音堂には石像の観音があり、王仁三郎が持参の「五六七の杖」で観音像の高さを測ってみると、杖の長さと同じ5尺6寸7分(約170cm)あった。像の冠を除いた高さは5尺3寸(約161cm)あった。これらは王仁三郎の身長と同一である(頭頂までが5尺3寸)。また観音像が左手に持つ蓮の実には33の波が刻まれていた。王仁三郎が像を掴んで鎮魂をかけると像は盛んに動き出した。

王仁三郎は「観音様は三十三相に身を変じて諸人を済度されたのであるが、後に最勝妙如来と出世されるという事が法華経に書いてある。最勝妙如来というのはミロクさんのこっちゃぜ」と説いた。

不動岩に登った後、再び観音堂に入り休息した後、帰ろうとすると、観音像の胸に3寸(約9cm)ほどの月の形が現じていた<ref>『新月の光』0071「みろく最勝妙如来」には、像が動き出した瞬間に月の形が現れたと記されている。</ref>。

参考文献:[[河津雄]]「西遊随行記〔四〕」『[[神の国]]』大正12年10月25日号p27-28

== 写真 ==
弥勒神像と王仁三郎が並んだ写真が、霊界物語[[第33巻]]の口絵として掲載されている(初版、校定版、愛善世界社版)。

== 瑞霊苑 ==
大正14年(1925年)7月3日(異説あり<ref>『[[大本年表]]』には'''7月3日'''と記載されているが、『[[新月の光]]』0071「みろく最勝妙如来」・0099「瑞霊苑と弥勒神像」には'''6月30日'''と記されている。</ref>)、王仁三郎は弥勒神像があるところを「瑞霊苑」と命名した。[[尾形太郎作]]をその祠官に任命した<ref name="kake0099">『新月の光』0099「瑞霊苑と弥勒神像」</ref>。

「神像は霊界物語第2巻に示された[[美山彦]]命の造りし神岩([[ミロク岩]])に向かい合うように鎮祭せよ」と王仁三郎は命じ、大正13年(1924年)3月3日に鎮祭された<ref name="kake0099" />。

昭和45年(1970年)10月25日、弥勒神像の47周年の大祭に引き続き、三代教主・[[出口直日]]が揮毫した「瑞霊苑」碑の除幕式が行われた<ref name="kake0099" />。

== 脚注 ==
<references/>

== 関連項目 ==
* [[ミロク岩]]

== 外部リンク ==
* <wp>三玉村</wp>:昭和29年(1954年)に山鹿町など近隣自治体と合併して山鹿市となる。
* <wp>山鹿町</wp>
* <wp>山鹿市</wp>

[[Category:像|みろくしんそう]]

案内メニュー